シェイクスピアと疫病

シェイクスピアと疫病

 大学の同僚が紹介していた、The New Yorker誌の興味深い記事を読んだ。

  “What Shakespeare Actually Wrote About the Plague” (シェイクスピアはペストについてどんなことを書いていたか)

https://www.newyorker.com/culture/cultural-comment/what-shakespeare-actually-wrote-about-the-plague?fbclid=IwAR2v7KozwpPULfc7rnT8KsmLeeEZ87oIKei6KbG3OkuqUwZ0DVnHyli7Vcg

 

 シェイクスピアが生きていた年代のイギリスはずっと、ペストの流行下にあった。その影響は彼の作品の深いところに脈々と流れているという。

 

 シェイクスピアは1564年4月26日にストラットフォード・アポン・エイヴォンで生まれた。

 その数ヶ月後にペストの流行が始まり、なんと街の人口の5分の1を奪った。

 幸運にも、シェイクスピアもその両親も無事だった。

 

 感染は、爆発しては収まり、数年後に再び蔓延するということを繰り返した。

 当時はもちろんワクチンもなく、医学全般も未発達の上、ペストは恐ろしく感染力が強かった。

 当時の記録によれば、ペストにかかると、まず熱と震えの症状が出る。極度の疲労感ののち、下痢、嘔吐、口や鼻からの出血、リンパ腺の腫れ。そしてひどい苦しみの後、死に至ることはほぼ避けられなかった。

 

 様々な予防策が採られたが、ほとんど効き目はなかった。

 当時は空気の汚れが病気の原因になると考えられており(それは間違いではないのだが)、空気を清浄にする方法として、ローズマリーやベイリーフなどのハーブを摩り下ろして燃やすと病気を防げると信じられていた。

 

 ちょうど私が持っている17世紀オランダ絵画集Class Distinctionsにも同じ説明がある。

 

 金や銀でできたポマンダーという容器に、ハーブや香辛料を入れて持ち歩くと、病気を防げると信じられていた。

 

 

 こちらは、シェイクスピアとほぼ同じ頃(1617年)のオランダ人画家Michiel van Miereveltによる、医学学生たちの人体解剖研修の様子を描いた絵。

 解剖による空気の汚染を防ぎ、ひどい臭いを緩和するため、人物たちが手にベイリーフやポマンダーを持っているのがわかる。

 

 

こんなことで病気の感染が防げるわけはもちろんなく、疫病が流行すれば人口の数分の一が死んでしまう悲劇は、もはや日常の一部だった。

 

 

 人口密度の高い都市部の方が田舎よりも感染率が高いことは、当時も知られていた。

 そこで、ある地区での死者が30人を超えると、人が多く集まる集会は禁じられた。当然、ロンドンでは劇場もその対象になった。密閉空間に2〜3千人が集まる劇場は閉鎖するよう命じられ、数ヶ月間興行を行えないことも頻繁に起こった。

 (ペストで劇場が閉鎖される様子は、映画「恋に落ちたシェイクスピア」でも描かれていますね。)

 

 シェイクスピアは劇団付きの劇作家であると同時に、劇団の株主であり、俳優でもあったので、劇場が長期に渡って閉鎖される度に経済的に大打撃を受けた。

 特に感染がひどかったのは、1582年、1592-93年、1603-04年、1606年、1608-09年。まさに彼のキャリア全体に及んでいる。

 しかも、1606年から1610年の期間、つまりシェイクスピアの傑作「マクベス」、「アントニーとクレオパトラ」、「冬物語」、「テンペスト」などが生まれた年代だが、この期間は特に流行がひどく、劇場は全部で9ヶ月間ほどしか開けられなかった計算になるという。

 

 しかし面白いのは、彼の戯曲や詩には、ペストが直接的に描かれていることはほぼ皆無ということ。

 同時代の他の作家の詩に「ペストの時代の連禱」という、まさにペストに直接言及した詩などがあることを考えると、これは特筆すべきことと言える。

 

 シェイクスピア作品におけるペストの言及は、怒りや憎悪を比喩的に表す時に登場することが多い。

 「ロミオとジュリエット」で、致命傷を負ったマーキューシオが「両家とも疫病でくたばるがいい」というセリフを言うのが、その一例。相手を呪うような場面では、このような表現がよく登場する。

 

 また、恋の病の比喩としても使われる。「十二夜」でオリヴィアが恋に落ち、「こんなにも早く疫病にかかるものなの?」と言うように。

 

 

 街や国全体がペストに襲われた時、死者のあまりの多さに、人々がどんな絶望にとらわれていたかを、ありありと表現している箇所が「マクベス」に登場する。

 

 第4幕、第3場、ロスのセリフ。(「・・・」は省略部分)

 

 惨めな国だ・・・まるで墓地だ・・・どこを見回しても、笑えるものが何もない、あるのはため息やうめき声、空をつんざく叫びだけ、しかも誰も気にとめるものもなく、どんな激しい悲しみも、ありきたりの狂態としか受け取られない。葬式の鐘が鳴っても、誰が死んだと尋ねるものも、滅多にいない、善良な人々の命も、その帽子に挿した花より早く枯れしぼみ、病気でもないのに人がかたはしから死んでゆく。 (福田恆存訳)

 

 

 ところが面白いことに、このセリフは、疫病に見舞われた街の描写ではない。マクベスという暴君に苦しんでいる街の描写なのである。

 権力の座に就くために人殺しをしたマクベスは、疑心暗鬼で次々と周囲の者たちを殺害していき、国中が恐怖におののく。

 

 

 シェイクスピア自身は、ペストについては悲観的な諦めの心境でいたと考えられる。だからむしろ、疫病そのものを描くのではなく、疫病の絶望を他の状況を描くための比喩として使っていたということだ。

 

 この記事の、最後の文章が心に刺さる。

 

 「シェイクスピアは疫病そのものではなく、別の疫病に注意を向けたのだ。嘘つきで、倫理が破綻し、無能で、血にまみれ、最終的には自滅する指導者に国を統治されてしまうという、疫病である。」

 

  これは現存するどこかの国のことではないのか。

 

 

 

 

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