東京・春・音楽祭にて、作曲家の加藤昌則さん企画構成「ベンジャミン・ブリテンの世界IV:ノアの洪水」ステージングを担当しています。
「ノアの洪水」はおそらく日本初演。音楽を愛好する市民・子供とプロの音楽家が入り混じって上演することを想定して書かれた、面白いオペラなのです。
台本は中世にイギリスのチェスターで上演されていた神秘劇から取られています。
中世のチェスターにおいて神秘劇は、地元の職人たちや商人たち、その家族など、一般市民が演じていました。合唱は地元の教会やカテドラルの合唱が担いました。街の様々なギルド(組合)が代わる代わる一作品ずつ、荷台の上で演じることになっており、荷台は街のあちこちに移動して繰り返し演じられることになっていたため、一つの荷台にパフォーマンスの要素を全て乗せられる必要がありました。当然、場面を表す道具もごくシンプルでなくてはいけません。
ブリテンの「ノアの洪水」も同じような上演形態を想定して書かれています。場所については「荷台ではなく、どこか俳優とオーケストラを入れられる大きさのある建物、理想的には教会で、劇場ではない場所。(今回の春祭での上演は劇場ですが)。俳優のアクションが見えるように高さがある方がよいが、見にきた一般市民と距離が離れていない方が良い。オーケストラはピットなどに隠さずに目に見える場所で演奏すること」と指定されています。
作品に使われたテキストは16世紀の終わり頃に書かれたもの。つまりシェイクスピアとちょうど同じ頃の英語です。現代人には見慣れない単語が多く、スペルもかなり違うのですが、「発音は現代の発音で歌うこと」と指定されています。ノアのスペルも現代では”Noah”ですが、この作品では”Noye”。ただしこれも現代の発音を適用、と書いてあります。
楽譜にはプロとアマチュアが混じり合って演奏するように細かく指定されています。
ソリストは8人いますが、そのうちプロが歌うことになっているのはノア(バリトン)とノア夫人(メゾ)のみ。それ以外の役はすべて子供もしくはティーンエイジャーの年代の少年少女が演じ、
ノアの6人の子供達は「11歳〜15歳くらいで、訓練された声、イキイキした性格」が望ましいと楽譜に書かれています。
またノア夫人の仲間として”Gossips”という女の子たちのパートがあるのですが、「年が上めの少女たちで、低音が強めの声、演技力がある人」と書かれています。
合唱は児童合唱で、ノアの方舟に乗る動物たちを演じます。
ライオン、ヒョウ、馬・・・に始まって様々な小動物まで、こんなに色々な動物の役が。
動物たちは教会の奥から行進してくるというト書きがあり、様々な年齢の子供たちが嬉々として色々な動物になって行進してくるのが眼に浮かぶような楽譜です。
オーケストラもリコーダーやトランペット、ハンドベル、様々な打楽器なども子供が演奏する指定で、それを大人のプロのプレーヤーがうまくリードするように書かれています(ただし今回の上演では器楽はほぼプロが演奏します)。
楽譜には「プレイヤーの配置が重要。プロの弦楽器奏者とリコーダー奏者はできるだけ指揮者の近くに配置して、指揮者とアマチュア奏者とのコンタクトを取れるようにすること」とあります。
弦楽器、リコーダー、トランペットは子供の技術でも演奏できるように書かれているばかりでなく、技術レベルでパート分けが細かく指定されています。
パーカッションはプロ奏者がティンパニを演奏してリードする。それ以外はアマチュア。そしてパーカッションの楽器の中には「吊るされたマグ」というのもあり、これは自宅で製作可能、と書かれています。子供が家で作って楽しむのを想定しているのでしょう。
全体的に子供が大人のプロと一緒に舞台の楽しみを目一杯体験できるように書かれているオペラ! 市民たちが楽しんで演じていた中世の神秘劇のスピリットをブリテンがそのままオペラとして再現しています。
残念ながら今回は舞台の条件・制約から、出演者が動きをつけて演じることは叶わなかったので、ステージングはごくシンプルにドラマの進行がわかるように整理するにとどめ、ブリテンが描いた音の世界をストレートに楽しんでもらえるように工夫しました。