カルメンという女性はどうして魅力的なのか。
色々な顔があって、どれが本当かわからない謎めいたところだと私は思った。セクシーでいてピュアにも見え、気が変わりやすいのか、一途なのか、大人なのか無邪気なのか、嘘つきなのか正直なのか、悪魔なのか、聖母なのか。
(このカルメン像は、カルロス・サウラ監督、アントニオ・ガデス主演「カルメン」を観て触発された。触発されただけで実際は全然違うものになってますが)
きっとカルメンに寄ってくるのは男だけじゃない。女も子供も寄って来る。
彼女の魅力のひとつに、母性的なところもあるのではないかと思った。
ホセは母親を恋慕している。父親は死んでもういない。もともと地中海文化では母親と息子の結びつきが強い。しかもホセは故郷で人殺しをしてしまったため、村にいられなくなり、家名も傷つけた罪悪感がある。母親に自分のことを誇りに思ってもらえず、故郷を去り、ナヴァラから遠く離れたセヴィリアで軍人をしている。
そんな彼は、謎めいたカルメンの、母性的な側面に触れて動揺する。
その気になれば何でも手に入るカルメンは日常に退屈していて、死というものに憧憬がある。死と戯れている時に一番自由を感じ、生きている実感を得られる。とっさに人を殺してしまうような発火性を持ったホセにカルメンは惹かれるが、ホセがしつこくなってくると飽きてしまう。だが最後にホセがカルメンを刺した瞬間、彼女は自分を殺したホセに本気で惚れる。
カルメンとホセを取り巻く世界は暴力的な世界だ。
そこには戦争の足音がする。
この作品に出て来る重要な要素「軍隊」「闘牛」「密輸団」はどれも凶暴である。
ジプシーは蔑まれるアウトサイダーで、迫害の対象だ(セヴィリアはジプシー人口が高く寛容ではあったが)。
19世紀前半、スペインは決して平和ではなかった。ナポレオン戦争後、国は、フランス革命の精神を引き継いだ革新派と王党派に分かれて争い、各地で内戦が多発していた。
そこで私は、カルメン1幕に登場する兵士たちは、単なる衛兵ではなく、すでにどこかで戦闘を経験してきた軍隊で、また次の戦地へ送られるまでの間、セヴィリアに留め置かれている部隊だと設定した。兵士たちの精神は荒廃している。そこへミカエラのような無垢な少女が紛れ込んできたらどうなるか。
4幕、闘牛を観に集まった民衆は歌う。「たった二クアルト、安いよ、安いよ!」(今回の公演はカットされてしまっているのだが…)
闘牛場は血を見に来るところである。私はここの民衆が、安っぽいスキャンダルに熱狂してネタを食いつぶす大衆に思える。闘牛に熱狂する人々と、カルメンとホセの争いに熱狂する人々がダブる。大衆のむき出しの好奇の目は醜い。
日本でも、過去一年だけでもいったいいくつのスキャンダルが世間を賑わし、すぐに消えていったか。
カルメンはさっと一筆書きのような人生を駆け抜ける。