二期会「サロメ」は無事終演。カーテンコールでのお客さんの反応が熱かった。
稽古終盤に本演出家のヴィリー・デッカー氏も合流して、演技のポイントと解釈がよりクリアになった。
「トリスタンとイゾルデ」の時もそうだったけれど、相変わらず、ヴィリーの鋭く、熱く、柔らかく、繊細きわまりない瞳には吸い込まれてしまう。
舞台稽古で装置、衣装、照明、歌手のパフォーマンス、オケ、全てが揃った状態になった時、ハッとした瞬間があった。切り落とされたヨハナーンの頭が穴から差し出されて、恐怖で地面にバラバラと散らばるように倒れるユダヤ人、カッパドキア人、召使たち。彼らはそのまま、サロメのモノローグの間十数分間、そのまま倒れている。台風でなぎ倒された木々のように。
ああ、愛は台風のように暴力的に全てをなぎ倒すのだ。
それを演出補のシュテファンに言ったら、彼はこう答えた。「その通り。愛は戦場っていうことなんだ」
確かにモノトーンの衣装に統一された彼らは、戦場で倒れた兵士のようにも見える。
その日から私はこのサロメを、ただ純粋に、「愛がすれ違う物語」と捉えるようになって、この場面になるとどうしても涙が出てしまうようになった。
ヨハナーンは言葉ではサロメを拒絶したけれども、そこには魂の交流が確かにあった(デッカー氏は演出ノートで、それは二人ともアウトサイダー同士だからだ、と言っている)。でも決して成就されることはなかった。
愛情のすれ違いを経験したことのない人なんていないだろう。
だからサロメはきっと誰の胸にも響く物語である。
お客さんも、この作品を猟奇的と見るのではなく、サロメの一心不乱の愛に感情移入する人が多かったようです。
そして頭だけで理解していたこの作品を、私が腹で感じられるようになったのは、歌手の皆さんの凄まじく圧倒的な歌唱と演技のおかげなのです。
さて、「サロメ」のオケにはハーモニウムとオルガンが使われており、舞台裏での演奏が指定されている。劇場入りしてからは客席からしか舞台を見られていなかったので、一体ハーモニウム/オルガンがいつ演奏されているのか興味がありながら、わからないままだった。本番3日目にして初めて本番を舞台裏で観ることにして、注意して見ていたところ、演奏される箇所を知ることができ、ワクワクする発見になった。(後でフルスコアでも確認。)
(このオルガンでハーモニウムパートとオルガンパートが兼用されていた)
ハーモニウム/オルガンの音ははっきり言って、普通に客席で聴いているお客さんにはほとんどわからないくらいの混じり方である。リヒャルト・シュトラウスがこっそり混ぜ込んだマニアックな謎解きのようなものだ。
演奏されるのはほんの数か所。
1)冒頭、サロメに恋するナラボートが “Wie schön ist die Prinzessin Salome…”と繰り返すたびに、schön (美しい)に重ねてハーモニウムが鳴る。
2)終盤近く、ヨハナーンの首を抱きしめながらサロメが歌うモノローグで、「ヨハナーンの声は神秘に満ちた音楽のようだった」の“geheimnisvolle Musik”(神秘に満ちた音楽)のところで、オルガンのペダルだけが、かなり低音で地響きのように鳴る。
3)そのモノローグが終わり、サロメがついにヨハナーンの口にキスをしている最中と、その後、サロメが「お前の唇は苦い。あれは血の味?いえ、愛の味かもしれない、愛は苦いというから」と言っている時に低音でオルガンが鳴る。(その時オケは「サロメの欲望のモティーフ」を演奏している)
特に2)と3)は、なんとも底深く不気味な、他の楽器では表現できそうにない音だ。
つまり、サロメの美しさ(=破滅を導くもの)と、ヨハナーンの声(真実の言葉)と、愛は血の苦い味がするという現象は、意味がつながっている、とシュトラウスは捉えたのではないだろうか?