ロンドン滞在も後半に入りました。今月からは引き続きJette Parkerの授業に出つつ、ギルドホール音楽院オペラ学部の授業も見学させてもらっています。
Guildhall School of Music and Dramaはイギリスで名門の音楽演劇学校の一つで、音楽家ではブリン・ターフェル、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、ジェイムス・ゴールウエイ、俳優ではユアン・マクレガー、オーランド・ブルーム、ダニエル・クレイグ、サイモン・ラッセル・ビールなどが輩出している学校です。他の大学で4年間勉強し、さらに大学院2年間分の勉強をした後に入るパターンが多いようで、プロになる前の最終段階の教育と位置づけられています。音楽院のプログラムは2年間。この後、劇場付きのオペラ研修所などに入る人もいれば、エージェントと契約してプロの道に入る人もいるようです。
私がこの学校を研修先に選んだ理由は、音楽科と演劇科から成る学校であればオペラ部門の演技教育も充実しているのではないかと考えたことと、以前、劇作家・演出家の鴻上尚史氏がここの演劇科で学んだ日々のことを綴った本を読んだ印象が残っていたからでした。幸いオペラ部門の学部長ドミニク・ウィーラー氏は日本に何度か来て芸大や新国立劇場オペラ研修所で指導をしている指揮者で、私の研修目的に非常に理解を示して下さり、授業見学に受け入れてもらえることになりました。
ドミニクと最初に会って話をした際、この学校の「オペラ歌手養成」についての方針に深く感銘を受けました。「オペラとはいったい何か」という命題に対して彼が持っている答えはとても腑に落ちるもので、これこそ私がずっと持っていた疑問に対する答えでもありました。
オペラとは音楽なのか、演劇なのか? これは「フィギュアスケートはスポーツなのか、芸術なのか?」という質問にも似て、なかなか難しい問題だと思いますが、ギルドホールはこの疑問に対して極めて明確な方針をもって教育をしていると感じます。すなわち、オペラはドラマであり、歌手をドラマに奉仕できる舞台人に育てるということです。
9月の入学日のオリエンテーションにも参加させて貰ったので、その日に彼が学生に向けて話したことも混ぜて書きます。
・ 20年ほど前までイギリスではオペラの観客がどんどん減り、オペラが瀕死の状態にあった。演出や演技が古びたせいで、映画などで新しい感覚のエンタテイメントに馴染んでいる観客にとっては年寄りが観る古くさい芸術になっていた。
・ そこでギルドホールではオペラを演劇としてとらえ直し、そのニーズに合わせてプログラムの抜本的な改革を行った。
・ ギルドホールのオペラ科の目的は、2年間かけて歌手を「ストーリーテラー(物語の語り手)」にすることである。音楽・声の技術を備えた上で、その技術を忘れて「物語を語ること」に集中できる歌手を養成するのがこの学校の主旨である。
カリキュラムは、ヴォイスレッスン、語学などの基本的な授業の他、演技とムーヴメントのクラスが通年で行われます。演技の先生が試演会などの演出も行うため、同じ先生の一環した指導が受けられるようになっています。
オリエンテーションでは、学生の心構えとして「授業では、他の人の迷惑にならないように準備を完全にしておくこと。すなわち楽譜はちゃんと暗譜して、テキスト(イタリア語なり、ドイツ語なり)は一つ一つの言葉の意味をすべて英語で言い換えられるようにしておくこと」を強調していました。また、「そこにいる全員が重要な存在です」「つねに喜びをもって授業に臨んでください」という言葉も印象に残りました。
ギルドホールオペラ科には1学年に20人が在籍していて、うち、コレペティが数人、作曲家が2名ほどいます。コレペティが授業や稽古に参加するのは勿論のこと、面白いのは、作曲家も歌手と一緒に勉強し、歌手のニーズを学び、その年に在籍している学生達に合わせた新作を書くことが課題となっていること。こうやってオペラの作曲の技法を現場で学ぶことができるという訳です。なんと合理的なシステムでしょうか。ちなみに同じロンドンのもう一つの名門校Royal Academy of Musicではオペラ科に作曲家教育を融合させてはいないらしいので、ギルドホールはイギリスの中でも進んでいるようです。
ギルドホールの稽古場の様子は次回に。