身体のクセを取ることと、舞台でのプレゼンス

 

 先日、Young Artists Programmeで開講しているアレキサンダーテクニックの個人レッスンを受けることができた。

 アレキサンダーテクニックは簡単に言うとパフォーマーのための自己整体法のようなもので、イギリスの演劇学校では必ず授業に取り入れられている。誰もがそれぞれに持っている身体のクセや緊張を取り除いて、常にリセットした状態で舞台に臨めるようにすることを目的とする。仰向けになったり座った状態でゆっくりと身体を色々な方向に動かしたり、じっとしたまま身体の色々な部分に意識をもっていったりしながら、自分の身体の状態を自分で把握して調整するためのワークをやる。日本でも海外で学び、日本に持ち帰って教える方達が増えて来ている。Young Artists Programmeでは毎週、アレキサンダーの個人レッスンが全員に対して組まれている。

 私はRADA(Royal Academy of Dramatic Arts)の日本でのワークショップや授業の通訳をしながらアレキサンダーの授業にもずっと参加していたので主旨や方法はだいたい理解しているのだが、オペラ歌手に対して先生がどのような指導をしているかに興味があった。

 先生はグリン・マクドナルドというけっこう高齢の女性。じっと相手を見つめて人を射抜くような鋭い目。

 「これまでにアレキサンダーの経験はありますか?」「はい、日本でRADAのイラン・レイシェルのクラスを受けていました。ご存知ですか?」 イランというのは元RADAの名物先生で、もう70歳は超えていると思われる、僧侶か仙人のような不思議な雰囲気をもったムーヴメントの先生である。「イラン、よく知っています。私は彼を教えていたんですよ」なんとグリンは、昔イランを教えた先生なのだった。イランを教えていたということは、グリンはイギリスにおけるアレキサンダーの総本山のような人に違いない。まさにラスボス遭遇、仏教の修行にチベットに行ったら意図せずダライ・ラマに遭遇したような驚きであった。

 部屋には診療台のような細長いベッドがあって、「施術」はそこで行われる。

 先生はまず私に仰向けに寝るように言った。会話をしながら、私の肩や首、おなかなどに手のひらをあてて様子をみていく。その手に触られているだけで安心して身体の力が抜けてくる。全てを見抜かれ治療されているような、不思議な感触。

 「あなたは呼吸が浅いでしょう」さすが。はい、その通りです。

  呼吸がしやすいように普段から意識的に胸を開くようにアドバイスされた。

 

  このセッションではまず先生による「施術」があり、その後軽いルーティーンワークやアドバイスを行う。ポイントは、歌手が自分で自分のクセを認識し、日常生活の行動の中で先生に頼らずとも自分自身で方向修正できるように仕向けていく、ということだった。

 この他にYoung Artists Programmeでは先日紹介したマンディによるムーヴメントの個人レッスンが毎週あって、そこでも様々なエクササイズやルーティーンを通して各自のクセや緊張感に気づかせ、動きを修正させる事をやっている。こうやってパフォーマーとしてニュートラルな状態を身につけ、役者として邪魔になる余計なクセや動きを取り除き、その上で公演ごとに自分が演じる役の身体を作る、ということを目標としている。

 

 ムーヴメントのマンディの個人レッスンを最後に受けた際、彼女に訊いてみた。「ムーヴメントの観点から見て、若手で経験の少ない歌手に共通するクセのようなものはありますか?」 「ありますねー! まず、両足で床に立った時に、重心がきちんとバランスよく両足に乗っていない。意識的にそれができていない。それから、オーディションで歌う時とかに、その場における自分のプレゼンス(存在感)を確立できない。」

 「プレゼンス?」

 「目の前にいる審査員を自分の意識の中に取り込めていなくて、なんだか遥か遠くのほうを眺めて歌っている。」

 「それは、その歌が役柄として何かを想像していたり、遠くを見ているから、とかではなくて、ですか?」

 「そういう歌だとしても、そこにいるオーディションの審査員をきちんと取り込まなくてはいけないのよ。私はよく審査員の人たちに言われるの。『マンディ、お願いだから、若手歌手にプレゼンスの指導をしてあげて』って。」

 

 その時はいまいち彼女の言っていることがわからなかったのだが、実はその後、あるオーディションで自分が実際に審査員をする機会があった。そしてマンディの言っていた意味が物凄くよくわかった。部屋に入ってきて、歌いだす時に、なんだかあらぬ虚空に目を泳がせて歌う歌手のなんと多いことか。重心も定まっていなくて左右の足に交互にユラユラ体重を移しながら歌う人もけっこういる。

 そうではなく審査員をちゃんと意識の中に取り入れて歌う歌手がいる。歌いながら、時にはこちらと目も合わせてしっかり見つめる。すると、とたんにその人はパフォーマーとして魅力的で自信があるように見える。その人は必ず最終候補に入る。

 ただし、じーーーっと穴の空くほどこっちの目を見つめながら歌う歌手もいて、そうなるとまた役柄と全然関係ない目線になるので、その人はアウトでしたが・・・