日本にいながら海外マスタークラス聴講

日本にいながら海外マスタークラス聴講

今年の夏はまたイギリスに行って向こうのプロダクションに参加するはずだったのが、ビザの問題で日本にいることになってしまった。近年イギリスはますます長期滞在が難しくなっているらしく…。すぐに日本で仕事が入って忙しくなってしまったので結果的に良かったのか悪かったのかわからないけど、こういう事は不可抗力なので流れに任せるしかない。

 

さて、海外に行けなくても海外で勉強しているかのような体験ができる方法を一つ発見した。最近YouTubeに有名歌手によるマスタークラスの映像が多数アップされている。“opera masterclass”と入力してみると相当な数が出てくる。指導をする歌手たちは世界の舞台で歌っているパフォーマーだけあって、ジョークを交えて場を盛り上げながら歌手にも良い指導をするので、たまに見始めると夢中になってしまう。

 

ロイヤルオペラハウス(ROH)でも時々世界的な歌手を招いてROH所属中のヤングアーティストを相手に公開マスタークラスをやっているようで、その映像がいくつか出ている。

最近すごく良かったのは、MET他で活躍するメゾソプラノ、ジョイス・ディドナートのマスタークラス。他の歌手たちと同じくディドナートも喋りがうまい。なんで歌手の方々ってこう器用に司会もこなしちゃうんでしょう。会場を盛り上げながら、ちゃんとレッスンする相手にも気遣いをしている。生徒というよりも同じ歌い手同士、仲間として勇気づけるような温かい姿勢が素晴らしいし、それに音楽に対する情熱がビンビン伝わってくる。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=unIaEe0Nw88

 

レッスン生はヤングアーティストのレイチェル・ケリー。レイチェルは私が去年ROHで研修していた時にヤングアーティスト2年目だったので直接知っている。美人で頭がよく、アジリタが見事で、表現力も豊かで、とても将来性のあるメゾソプラノ。10月に行われた指揮者マーク・エルダーによるロッシーニがテーマの公開レクチャーでも歌っていた。

会場はROH劇場内の小さい方の劇場Linbury Studio Theatre. 客席は一般の観客で満員になっている。こういう場所で世界的歌手からレッスンを受けるなんて、緊張するだろうなあ。

 

曲はロッシーニ「チェネレントラ」より”Nacqui all’affanno… non più mesta”(「悲しみと涙のうちに生まれて」)

 

発声やトリルのテクニックなどについても良いアドバイスをしていたが、演出家の観点からすると印象に残ったのはこの部分。

 

曲の冒頭。レイチェルが頭から美しい声で歌いだす。

ディドナート    「待って。あたまのNacqui all’affannoってどういう意味?」

レイチェル     「悲しみの中に生まれて…」

ディドナート 「そう。もう少し、自分が言っているその歌詞の重みを感じるようにしたいの。我々は時に、作曲家が書いたものを軽視しがちな気がする。ロッシーニが何を書いたかちょっと考えてみて。もしこの歌の歌詞のように人間がお互いを許し合うことができたら、それって理想の世界でしょ。そのために私たちは音楽に向かうんじゃない? もう少し良い人間になりたい、何か感じたい、もっと理解したいと思って音楽に向かう。それは決して美声をひけらかす事じゃない。この歌の冒頭はその瞬間が生まれるところだから…(もう少し言葉の意味を感じて歌ってみて)」

 

レイチェルは再度歌い出す。(彼女はまた、素直な性格なので指導がすんなりと入る)

 

劇的な変化。はっとするほど違う、心に響いてくる。

 

ディドナート「今わたし、鳥肌がたったわ。なんででしょう。(お客さんに)ねえ、なんで聴き手は鳥肌が立ったんでしょうか? 正直で、真実味があって、シンプルだったからよね。声がどうっていうのとは全然関係ない。声は結果でしかない。今、ちゃんと(自分の身体と意味が)つながってたよね。私まだ鳥肌が消えない!(レイチェルに)今のフレーズ、何をしようとした?」

レイチェル      「今は声のことは全く考えてませんでした。歌う時に発声のことは考えるべきじゃないっていうのはよくわかってるんですが…」

ディドナート 「ちょっと待って待って。そんな事言ったのはどこの誰、名前と電話番号を教えなさい!(笑) 私たちは歌手なんだから、もちろん声のことは考えなきゃいけないのよ。それが私たちの楽器なんだから。ただ、声が目的になってしまってはだめっていうこと。Make the sound serve your expression. (声を表現のために奉仕させなさい。) 」

 

 

去年、ロイヤルでもギルドホール音楽院の授業でもさんざんコーチたちが言っていた。「発声に気を取られず、言葉の意味に集中すること」。特にギルドホールでは、演出家と指揮者が何度も「発声のことは家でやってきなさい。稽古場と本番では意味を伝えることに集中しなさい。だって本番中に発声のことを考えたって絶対良くなりはしないんだから。」

これは言うのは簡単だと思う、演出家や指揮者は自分で歌うわけじゃないんだから。

でもディドナートのような現役の歌手自身が「声じゃなく意味に集中しなさい」と言うと、とても説得力がある。

 

(発声を考えない、というのは、もちろん、日々の努力によってツールである声を鍛え上げた上で初めて言えるのを前提として。)

 

先日、東京の某大手ミュージカル劇団で通訳をした際に、アメリカ人の音楽監督が「僕はオペラは全く興味が持てない、歌手が綺麗な声を出すことにしか関心がなくて、ドラマをやらないから」と言い放った。それは偏見ですよ、最近のオペラを観てないでしょう?今では世界的にも意識が変わってきてるし、みんな凄く努力してますよ…と言いたかったけど、一度偏見を持ってしまった人の考えを変えるのは難しい。だからとにかくオペラをやっている我々は、ごく普通の人がオペラを見て鳥肌が立つようにしたい。オペラ歌手が本気で表現したらとんでもなく凄いっていうことが知れ渡って欲しい。