カッチーニ「エウリディーチェ」演出ノート(2)

カッチーニ「エウリディーチェ」演出ノート(2)

「エウリディーチェ」のストーリーはモンテヴェルディの「オルフェオ」と同様、オルフェウス神話を下敷きにしている(モンテヴェルディの「オルフェオ」は初演が1607年なので、カッチーニのほうがモンテヴェルディの先駆である)。不慮の事故で死んだ妻のエウリディーチェを取り戻すためにオルフェオが冥界におもむく。オルフェオの竪琴と歌の力に冥界の王プルトーネは心を動かされ、妻を地上に連れて戻ることを許すが、「地上に戻るまでの道すがら決して後ろを振り返って妻の顔を見てはならない」と条件を付ける。神話ではオルフェオは後ろを振り向いてしまって結局妻を失うのだが、「エウリディーチェ」はメディチ家の結婚式の催し用として書かれた作品のためハッピーエンドに書き換えられていて、オルフェオは無事に妻と一緒に生還を果たすところで終わりになる。

 さて、1600年当時のフィレンツェの芸術家たちが私的な会でオルフェウス神話を上演するとして、彼らにとっての冥界の王は誰だろう? 亡くなった過去の偉大な人物を挙げるとしたら、それはフィレンツェの「祖国の父」と呼ばれるコジモ・デ・メディチではないだろうか。

 1389年にフィレンツェに生まれたコジモは1434年にフィレンツェの君主となり、その後数世紀に及ぶメディチ家支配を確立させた。経済、政治、外交、宗教、あらゆる面において能力を発揮したばかりでなく、学芸助成の面でも比類ない業績を残した。

 ウフィツィ美術館に展示されているコジモ・デ・メディチの肖像画


 彼は文化が国の威信に役立つことを知っていた。かのドゥオモを始め、現在に至るフィレンツェの町並みを形作る代表的な建築物の多くを建てさせたのはコジモである。また彼から孫のロレンツォが支配した数十年の間に、フィレンツェのルネサンスは最盛期を迎える。コジモが支援した芸術家はフラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ドナテッロ、ブルネレスキ他など。ロレンツォはボッティチェッリ、ダ・ヴィンチなどを支援した。現在のウフィツィ美術館の入り口には、コジモとロレンツォの像が左右に分かれて建っている。それもそのはず、ウフィツィを彩る芸術品の多くがこの二人の支援の結果なのだから。メディチの歴代君主は、芸術家たちにとってまさに神のような存在だった。


サンタ・マリア・デル・フィオーレ(ドゥオモ)


メディチ家礼拝堂内部


メディチ家の菩提寺サン・ロレンツォ教会内部

 

 サン・ロレンツォ教会地下にあるコジモ・デ・メディチの墓


 ちなみにメディチは科学技術分野のパトロンでもあった。フィレンツェのガリレオ博物館には、メディチが収集した科学器具が多数展示されている。ガリレオもメディチ家に経緯を表し、自らが発見した木星の衛星を「メディチの星々」と名付けた。

 

 

  

 1500年代後半も芸術家がメディチ家の庇護を受けていたことに変わりはなく、カッチーニもメディチ家の宮廷音楽家だった。しかしメディチ支配の様相は変質していた。神々はルネサンス最盛期に比べると堕落ぶりは否めなかった。君主たちはかつてのコジモやロレンツォほどの深い教養や視野を持たず、その行動や判断基準は表面的な政治性が強く、同族内の権力闘争やスキャンダルも耐えなかった。「エウリディーチェ」が書かれた1600年当時の大公フェルディナンドは、兄で前大公のフランチェスコの妻を巡る恨みから、兄夫婦を暗殺して君主になったとする説もある。

 1500年代後半の芸術家たちは、日々街を歩き、フィレンツェを彩る建造物の数々を眺めながら、過去の偉大な芸術のパトロンに思いを馳せたことだろう。今ここに彼のような人がいたら、我々の芸術の本質をもっと理解してくれたに違いない、と。

 コジモが死後に冥界の王として君臨しているとしたらどうだろう。彼のところへ嘆願に行き、その心を動かすことに成功したら、死者が蘇るばかりでなく、新しい芸術が生まれ、天の代わりに地球が動くことになるのではないか? 新しい時代がやってくるのではないか?

 

 「エウリディーチェ」の台本では太陽神アポロ賛美が何度も繰り返される。音楽と医術の神アポロはメディチの象徴であった(メディチはその名の通り、祖先は医薬関係の商売を営んでいたとされる)。作品自体がメディチ家の結婚式で上演される目的で書かれたため、随所にメディチを讃える歌詞が折り込まれている。しかしそれはうわべのジェスチャーに過ぎない。台本作家リヌッチーニとカッチーニが本当に讃えているのは自分たちが生んだ新しい音楽の力である。カッチーニは、モノディ及びレチタール・カンタンドという新しい形式が、それまでの音楽よりも人間の心を表現するのに遥かに適しているという強い自負を持っていた。そのプライドを私はこの作品からひしひしと感じる。そして事実、オペラという芸術形態はメディチ家支配よりはるかに長く生き続けているのである。