リロ・バウアー演劇ワークショップ:テンションのレベルによる役の演じ分け

 

 4月の後半の2週間、東京芸術劇場主催の演劇ワークショップの通訳をした。舞台関係の通訳の仕事は普段とは違う世界を覗く機会になり、自分自身の引き出しが増えるので時間がある限り受けるようにしている。講師はリロ・バウアーという俳優・演出家で、フィジカル系の訓練で有名なパリのジャック・ルコック演劇学校を出た後、サイモン・マクバーニー率いる劇団テアトル・ド・コンプリシテで活動していた。日本では20年前にコンプリシテの来日公演で主役を演じて鮮烈な印象を残し、今でもコアな演劇ファンの間では語り草になっているようなのだけれど私は残念ながら観ていない。現在はヨーロッパ中で演出家として活動し、オペラの演出もやっている。 

 コンプリシテは日本でも村上春樹原作の「エレファント・バニッシュ」や深津絵里主演「春琴」などの上演で知られている。私も「春琴」は2010年に観たが、竹細工っぽい棒などを使ったシンプルな舞台に身体を駆使した幻想的な世界が素敵だった。

 ちなみにサイモン・マクバーニーもオペラも演出していて、こちらはイングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)の魔笛。宣伝映像だけでもめちゃくちゃ楽しそう。

https://www.youtube.com/watch?v=kR1lDumQ9q8

 マクバーニーもルコック出身だし、ルコックのメソッドには以前から興味があり、またコンプリシテの元俳優の指導というのも楽しみでワクワクしていた。

 講師のリロは本当に魅力的でチャーミングな人で、指導も素晴らしく、得難い経験になった。

 応募人数に対して倍以上の応募があったらしく、集まった受講者は幅広く、商業演劇系からNODAマップや青年団の団員の方達など、個性的で実力のある人ばかり。

 ワークショップの内容はやはり身体を使ったものが中心で、リロが選んだテキストを題材として数人のグループでフィジカルな作品を創作するエクササイズが多かった。どちらかというとテキストに重きを置くイギリス系のメソッドとは違って、セリフに頼らず身体性によって作品やテーマの深層をあぶりだしながら物語を語る手法に目を見開かされた。使ったテキストはカフカやチェーホフ、ゾーシチェンコ、ゴーゴリなどの短編。このへんの作家は確かにシュールな世界の中に人間の深淵をえぐりだす。リロは「ロシアの作品のいかれた感じが好き」という。 

 

 ワークショップで行われたエクササイズの中で、いくつかオペラにも応用できそうなメソッドがあったので紹介したい。

 「テンションの7段階」といって、身体の状態をテンション(緊張感)のレベルによって7種類に分類し、役作りに応用するものである。これはルコックの基本メソッドの一つとのことである。下記の1から7に向かってテンションは高くなる。(あくまでこの短期間のワークショップで使われた説明なので、正式に学校で学ぶのよりも簡略化されていると思われるのでご了承ください。)

 

1)Catatonic: 筋肉のテンションがほとんどゼロで、ぐでんぐでんの状態。例えて言えば、砂漠の中を疲れ切って歩いているような。ただしテンションが完全にゼロだと人間は筋肉を動かすことが出来ないので、かろうじて歩ける程度には筋肉に力が残っている。酔っぱらいの歩き方もこれに近い。

2)Californian: Catatonicよりも少しテンションが入った状態。カリフォルニアの人のように、リラックスした気楽な状態。歩いたり、立ち止まって挨拶したり。

3)Economic/Neutral: 一番基本の状態。ムダのない機能的な動き。行くべき所にはまっすぐ行く。重くも軽くもなく、速くも遅くもない。たとえばラッシュアワーの駅での人々のような感じ。

4)Curious/Alert: 好奇心旺盛な子供のような状態。目に入るもの何にでも敏感に興味を示す。

5)Melodrama: メロドラマ、つまりドラマチック。何をするにも大げさな反応とジェスチャー。バレリーナのように大きく動き、身体をラインで使うのが特徴。(コメディア・デラルテで言うと「恋人たち」がこれに相当する)

6) Passion: 興奮マックスでエネルギーが極限に達した状態。例えばサッカー選手がゴールした瞬間にチームメートと喜び合う時や、宝くじに当たった時などの状態。

7)Tragedy: 絶望の状態。ギリシャ悲劇の考え方から来ているもので、すべてを失った人が、命に限りある存在として、不死である神に向かって問いかける時の状態。両足は地についていて、そこから神に向かって問いかける。

 

 俳優数名それぞれに違うテンションのレベルを与えた上でインプロをやると、それぞれの人物の個性がはっきりと出て、それだけでとても面白いシーンができるのである。

 

 オペラでなら、例えば「コジ・ファン・トゥッテ」のように、身分も年齢も同じような人物が複数いるため個性をつけにくい作品に役に立ちそうな気がする。

 恋人が戦場に行くという事件に際し、いつも真剣なフィオルディリージはTragedy(悲劇)、浮気性で大げさなドラベッラはMelodramaで演じれば、かなり個性の違いが出せそうだ。真面目なフェランドは基本がEconomicとMelodramaの間で、不真面目なグリエルモはCalifornianがしっくり来る。デスピーナはEconomicとCuriousの間を行ったりきたりすれば、機敏に働かねばならない小間使いのくせにすぐキョロキョロよそ見をするという性格を見せやすい。落ち着いたアルフォンソは終始Californianで、独白の短いアリアだけPassionにすれば、裏がありそうで興味をひく人物になりそう。

 

 もう一つオペラに使えそうと思ったのが、「ラブナンバー」というエクササイズ。ある人物が別の人物をどの程度好きなのかを、1~10の数字で決めておく (1~20でもよい)。(数字が大きいほど好きの度合いが強い。)登場人物が4人いたとして、それぞれの人物が、残りの3人それぞれをどの程度好きか、という番号を割り振った上でシーンを演じる。すると、誰が誰を好きで誰を嫌いかが露わになり、立体的になってとても面白い。

 

 オペラでなら例えば「カルメン」だったら、カルメンとホセのお互いに対する数字を幕ごとに決めておくと面白そうだ。カルメンのホセに対する数字は最初が5で、2幕では8に上がるが、3幕では3になり、4幕では1。これに対して、ホセは1幕が4で、2幕以降はずっと10。こう決めておくと、二人の関係性の推移がはっきりと表現できる。

 

 リロにこれまでどんなオペラを演出したの?と訊いたら、ドリーブ「ラクメ」、パーセル「ダイドーとエネアス」など、さすが日本ではめったにやらない作品の名前が挙がって、うらやましかった。

 

 さて、ブログを開設して2年経ちました。お読みいただきありがとうございます。タイトルは、オペラ「ヘンゼルとグレーテル」の「魔女の騎行」からとっています。「ヘングレ」は子供向けのオペラとされていますが、なかなかどうして、深いオペラなんですよ。以前の記事

 「ヘンゼルとグレーテル:グレーテルが魔女になる」

 「魔女とヴァルプルギスの夜」