カルメン(2)プーシキン「ジプシー」との関係

 小説「カルメン」の原作者プロスペル・メリメはスペインやロシアの題材を好み、ロシアの偉大な詩人プーシキンの作品を初めてフランス語に訳した人でもある。(プーシキンは「エフゲニー・オネーギン」、「ボリス・ゴドゥノフ」の原作者としてオペラでは有名な名前である。)プーシキン以外にもゴーゴリやツルゲーネフ等のロシア文学をフランスに紹介したのがメリメだった。

 プーシキンの作品のひとつに「ジプシー」(1824年発表)という詩があり、これは内容が「カルメン」にかなり似ている。貴族のアレコがジプシーのゼムフィーラに恋し、ジプシーの仲間に加わって生活するが、やがてゼムフィーラは心変わりし、アレコはゼムフィーラを殺してしまうという話である。

 プーシキンは1820年から21年にかけて当時ロシア領であったモルドバのキシナウで追放の生活を送った際、現地で土地の人民を観察し、ジプシーの群れに交わって彼らと生活を共にしたこともあった。叙事詩「ジプシー」はこの時の体験を元にして書かれた。自然と結びついたジプシーの自由な放浪生活が、アレコの出自である都会の生活と対比して描かれている。この詩をフランス語に初めて訳したのもメリメなのである。

 ただし、メリメが「カルメン」を書いたのが1844年、メリメがロシア語の勉強を始めたのが1847年以降とのことなので、「カルメン」を書いた際にはまだメリメは「ジプシー」を読んではいなかったらしい。そのため「カルメン」は「ジプシー」の影響を受けている訳ではなく独自に書かれたものということになる。しかし、その後、1875年に発表されたオペラ「カルメン」はプーシキンの「ジプシー」との共通点が数多くあり、どうやらオペラ「カルメン」の台本作家メイヤックとアレヴィはメリメがフランス語に訳した「ジプシー」から拝借した部分がかなりあるらしい。

 という主張をした学術論文を発見したので、「ジプシー」とオペラ「カルメン」の類似点について述べた部分をはしょって紹介したい。

 

1)ゼムフィーラとアレコが一緒に生活を始めてから二年経った時、ゼムフィーラはこのような歌を歌う。

 

         わたしを切るなら切ってごらん、

         わたしを焼くなら焼いてごらん、

         わたしゃ平気さ刃や火には。

 

 メリメの仏語訳では、二行目は “Coupe-moi, brûle-moi” であり、これはオペラ「カルメン」1幕でズニガに向かって歌うセリフと全く同じである。

 

 

2)上記のゼムフィーラの歌を聴いて、アレコはこう返す。

 

         おれは歌にはあきあきした、

         黙れ。歌なんかよせ、

         おれはそんな野蛮な歌は嫌いだ。

 

 それに対し、ゼムフィーラはこう返す。

 

         嫌いだって? 余計なお世話よ!

         あんたに歌ってるんじゃあるまいし。

 

 ここの部分のメリメの仏語訳は 

 “Cla ne te plaît mas? Que m’importe! Je chante la chanson pour moi” 

 

 それに対するアレコの返答は “Tais-toi, Zemfira!”

 

  このテキストは、オペラの1幕におけるカルメンとホセのやりとりJose “Tais-toi! Je t’avais dit de ne pas parler!”  Carmen “Je ne te parle pas, je chante pour moi-même”  に非常に似ている。

 しかも、メリメの「カルメン」にはこれに類似した会話は全く出てこない。

 

3)オペラの有名な「ハバネラ」の最初はこのように始まる。

 

         L’amour est un oiseau rebelle

          que nul ne peut apprivoiser,

          et c’est bien en vain qu’on l’appelle,

          s’il lui convient de refuser. 

 

            恋は言うことを聞かない小鳥

      飼いならすことなんか誰にもできない

         いくら呼んでも無駄

         来たくなければ来やしない。

 

 メリメの小説ではこれに近いセリフは一切ないが、「ジプシー」では老人のセリフで似たものがある。

 

 

           青春は小鳥より自由じゃ。

     誰が力で恋をおさえることができよう?

 

 メリメの仏語訳は

 

 “La jeunesse n’est-elle pas plus volongair que l’oiseau? Quelle force arretait l’amour?” 

 言葉の順番が違うものの、使われているイメージは重複している。

 

4)オペラ4幕のフィナーレでカルメンはホセに対しこう言う。

 

            L’on m’avait même dit de craindre pour ma vie,

            mais je suis brave et n’ai pas voulu fuir

 

            命に気をつけろとまで言われたわ、

            でも、あたし平気よ、逃げようともしなかった

 

メリメの原作ではカルメンはこれに類似したことは一切言わない。しかし「ジプシー」ではゼムフィーラは彼女を殺そうとするアレコに向かってこう言う。

 

            Eh bien, je ne te crais pas!  Je méprise tes menaces

            ああそう、私はあんたなんか怖くないわ!

            あんたの威嚇を軽蔑するわ

 

5)メリメの小説では、ホセがカルメンを刺す直前、カルメンは厭世的なセリフを口にする。

 

            そうさ、私はあの男にほれましたよ。お前さんにほれたように、

    一時はね。たぶんお前さんほどには真剣にほれなかったろうよ。

    今では、 私は何も愛しているものなんかありはしない。

 

オペラのカルメンの態度はこの場面ではかなり違う。ホセに詰め寄られ、カルメンはエスカミーリョに対する愛を見せつける。

 

            好きよ!

            彼を愛してるわ、たとえ死ねと言われたって、

         あたし 何度でも好きと言うわ

 

            Je l’aime, et devant la mort meme, je répéretais que je l’aime

 

これは、メリメの小説よりもゼムフィーラの最後のセリフに似ている

 

            Je meurs en l’aimant

            彼を愛しながら死ぬわ

 

 このように、オペラの台本にはメリメ「カルメン」ではなくプーシキン「ジプシー」のほうに似た部分もたくさんあることから、オペラの台本を書いたメイヤックとアレヴィはメリメ「カルメン」とプーシキン「ジプシー」の両方を参考にして台本を書いたと考えられる。それはおそらく、小説の「カルメン」では全体的に主人公カルメンの態度が淡々としていて諦念的なため、オペラに必要な熱量を取り入れるために、より情熱的なセリフのある「ジプシー」から拝借したという面があるのではないだろうか。

 

 

参考文献

メリメ「カルメン」 杉捷夫訳 岩波文庫

プーシキン「ジプシー・青銅の騎手」蔵原惟人訳 岩波文庫 

オペラ対訳ライブラリー ビゼー「カルメン」安藤元雄訳 音楽之友社

David A. Lowe, “Pushkin and Carmen,” University of California Press, 2009