「ばらの騎士」立ち稽古が始まって二週間。現在は演出補・振付家のサラ・フェイが稽古を進行していて、来週、演出家のリチャード・ジョーンズが来日する予定。
サラはこれまでにリチャードの作品十数本の振付を手がけていて、彼女のつける動きがリチャードのステージングと深く混じり合って一体化する形で一緒に作品を作っている。リチャードの作品では歌手の動きが一種異様なほどに細かく制御されている。例えばイスに座る時、歩いていて止まる時などのターンの方向や、どちらの手を先に上げるかといったことも全部決まっている。合唱全部が一斉に同じ動きをすることもよくある。彼はそういう美的感覚なのだろう。そういったムーブメントの部分は全てサラが具現化することで作品が作られている。サラが丸ごとステージングを付けた場面もある。
といっても無機質に動きを付けているわけではなく、役柄の意図、感情によって丁寧に裏付けがされている。サラの稽古でも、強調されるのは、一瞬一瞬、そのキャラクターが何を考えているかを明確にすること。サラはよく、その時にキャラクターの頭にあることを、歌手や助演俳優に日本語で言いながら動いてみるように指示する。やってみると確かに、漠然と演技をしていた時よりもキャラクターの意図が格段にクリアになる。
一瞬一瞬に心の動きがあり、空虚な演技を決して許さないのはイギリスの舞台芸術における共通のこだわりで、本当にドラマを大切にする国だとつくづく感じる。これは私がロイヤルオペラハウスとギルドホールで研修した際にも毎日のように感じたことで、演出家だけではなく音楽コーチもスタッフも、ドラマを念頭においた指導をするところが素晴らしい。
稽古初日のコンセプト説明で、台本には書かれていないバックストーリーの説明があった。例えばオクタヴィアンとマルシャリンはどこでどのように出会い、付き合って何ヶ月とか、ゾフィの母親は何年前に何の病気で死んだとか、実は誰と誰が不倫をしているとか、かなり細かく設定されていた。それはもちろんホフマンスタールが書いたものではなく、リチャードとサラが独自に作ったバックストーリーなのだが、台本とよくつじつまがあっていて感心した。そういうプロセスもイギリスらしいやり方。
それにしても「ばらの騎士」は音楽が本当に難しい。美しい旋律に騙されてしまうが、作品の大半を占める会話調の部分は、音形もリズムもアットランダムというか、複雑きわまりない。私はもっと歌手が苦戦するかと想像していたのだが、皆さん暗譜は完璧だし、音取りで苦労した後が感じられないほどよく準備をされてきている。これからの稽古を経て中身がどんどん詰まってくるのがとても楽しみ。
稽古場の様子:二期会ブログより