ハイドン「月の世界」について

ハイドン「月の世界」について

 アイゼンシュタット・エステルハージ宮ハイドンザールで演奏したハイドンのオペラ「月の世界」について少し。  

 交響曲の父と呼ばれるハイドンがオペラの分野でも多作であったことはあまり一般的に知られていないが、20近くのオペラ作品を書いている。1761年から1790年まで楽長としての勤め先であったエステルハージ宮では、ニコラウス・エステルハージ侯爵が大のオペラ好きであったため、自作品のみならず他の作曲家の作品を含めてオペラを上演することがハイドンの重要な仕事の一つで、公演数は年間150にも及んだ。

 こちらが演奏会当日のエステルハージ宮の外観。

建物の中にあるハイドンザール。実際は写真より古びて使い込んだ感じがあり、その分空気感がリアル。そして何より音響が素晴らしい。単に響きが良いというより、ホール自体がひとつの木管楽器のように感じられた。

 「月の世界」(1777年)はエステルハージ宮で書かれた彼のオペラ(コメディを好む侯爵の意向を反映し、大半がオペラブッファだった)のうち9作品目にあたる。

 「月の世界」の物語はコメディア・デラルテ形式。ケチな金持ちのブォナフェーデは娘2人を家に閉じ込めて恋人と会うのを禁じ、自分は召使いのリゼッタに熱を上げている。娘の一人と結婚しようとたくらむ詐欺師のエックリーティコが、「月には素晴らしい世界があります」と言ってブォナフェーデを丸め込み、薬を飲ませる。目を醒すと連れて来られた「月の世界」ではすべてがあべこべ。どさくさに紛れて娘達と召使いをそれぞれの恋人と結婚させてしまう、というストーリー。単なる伝統的なコメディア・デラルテの枠に収まらず、科学の進歩への憧憬があった啓蒙の時代らしい話だ。

 このオペラを聴くと、ハイドンの温かい人柄と品のあるユーモアのセンスが感じられる。音楽学者ジェームス・ウェブスターによれば「公人としてのハイドンは、啓蒙の理想とする「正直な人間」を体現する人であった。謙虚な人柄で楽長として宮廷の音楽家たちから親しまれ尊敬されていた。ユーモアのセンス抜群で、よくジョークを飛ばし、友人も多かった」。

 この作品の特筆すべきところは、台本がカルロ・ゴルドーニによるものだという事。イタリアの演劇史を代表する喜劇作家で、コメディア・デラルテの改革者として知られている。劇作家としてだけでなく音楽劇の台本作家としても成功をおさめ、ガルッピ、ピッチンニ、パイジェッロ他多くの音楽家によって作曲された。「月の世界」もハイドン以前にピッチンニ、パイジェッロ他が作曲している。

 私は以前、ゴルドーニに興味を持ってその生涯について調べた事がある。特に面白いのは、彼がもともとは父親の以降で弁護士を目指したものの、演劇への情熱が捨てきれず、公務員の仕事をしながら台本を書いていたという点。本業のかたわら劇団の座付き作家や劇場の監督なども引き受け、ついには弁護士業をやめて演劇を本業にしてしまった。劇団の座付き作家としての生活は、いかに気が強い女優たちのご機嫌を損なわない台本を書くかなど、苦労はつきなかったようで、そんなエピソードを読んでいると、彼の人生自体が一本の芝居になりそうに思える。

 さて、今回の「月の世界」は日本人がハイドンの本拠地アイゼンシュタットのエステルハージ宮でハイドン作品を演奏するという事を生かし、「月の世界は詐欺師エックリーティコが仕込んだニセの日本」という設定にした。キャストには浴衣や裃・袴、はっぴ等を着てもらい、曲にあわせて盆踊りもどきを踊ってもらった。これが大好評で、会場を埋め尽くした現地のお客様(主にウィーンから足を運んだ人々)からありがたくも絶賛をいただいた。

 

指揮:久世武志

出演:大久保眞、平田利幸、相楽和子、藤澤みどり、高柳佳代、矢野綾乃

演奏:TBSK管弦楽団