オペラ演技指導者としてのスタニスラフスキー(3)ラ・ボエーム2

  現代演劇の祖、スタニスラフスキーが晩年に主宰していたオペラスタジオでの授業と稽古の様子。Stanislavsky on Operaより抜粋して訳します。「ラ・ボエーム」続き。

 テキストを肌身のリアリティとして落とし込み、大げさな身振りをせず、現実から生まれるリアルな動きだけをやれ、といった指導は、今でも十分通じる内容です。

 

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 マルチェッロを演じるバリトン歌手は、歌い出す前に様々な試験をパスせねばならなかった。まずは画家として、プロがやるようにパレットと筆を使いこなせるようになること。それから俳優として、音楽のリズムと合わせて細かな動きを実行すること。かくして陽気な、あまり洗練されていない男性マルチェッロが出現した(詩的で優しいロドルフォと良い対比をなしていた)。長いスモックを着て、芸術家らしいあごひげを生やした彼は、飛んだり跳ねたり、足をドタドタさせたり、カンバスに大胆に筆を走らせたりした。音楽を聴いていると、彼の絵の具の混ぜ方、いつカンバスに筆を乗せるか、いつ手を止めるか、いつ一歩下がって自分の絵を眺めるか、といったことまで書き込まれているように感じられた。彼は寒さで震える声で自分に歌う。しかし数小節後には、寒さに耐えきれず(「ファラオを溺れさせてやる」)パレットと筆をイーゼルの下の箱にしまい、2歩ジャンプしてロドルフォのブランケットに飛び込んでしまう。ここでロドルフォにフォーカスが移る。頭が2つある巨大な1人の男がブランケットをかぶっているみたいになる。(スタニスラフスキーが付けた)このミザンスは独特で、驚きがあった。いわゆるオペラ的な優雅さはないが、理にかなっていて、寒さに苦しんでいる二人を表すのにぴったりだった。

 「何してるんだ?」マルチェッロはロドルフォのブランケットにくるまりながら訊く。弦楽器の痙攣するようなフレーズで、ロドルフォは夢想から覚める。ロドルフォはそれまでの荒々しい音楽とは打って変わった、軽やかに駆け上る、すばらしく美しいメロディで歌い始める。

 「たくさんの煙突が煙を吐き出してパリの空を覆っていくのに感心してるのさ。うちの怠け者の煙突は、俺たちのことを心配してやくれないが」このうきうきしたフレーズはのちに、彼の詩的な性質をあらわすライトモティーフとして再び現れる。メロディの繊細さに反して、言葉は遊び心たっぷりである。

 「薪なしにご主人様をあっためるつもりはないんだよ」マルチェッロは空の暖炉のほうを頭で示しながら言う。

 稽古でスタニスラフスキーは言った。「オペラの幕開きであるこの場面のエッセンスは何だろう? 若いフランス人の男二人は、屋根裏部屋で凍えているが、精神は折れない。愛の話だってする。ここでの身振りはどうあるべきか? 動かないで喋ることだ。ものすごく寒いので、ことは複雑だ。身体をあたためないといけない。ブランケットにくるまりながら身体を暖めるにはどうする? まず、じっとしていること。冷たい風が入り込まないように。そして、音楽がアクションを示唆する箇所にきたら、それに従う。ブランケットをぴんと伸ばして、背中の上まで引っ張り上げる。これはすべて明確にやらないといけない。たとえば、4小節間は震えて、4小節間は身体をさすって、4小節間ガタガタ震える。これはもちろん、おおよそという意味だ。アクションが明確であれば観客は状況を理解できるし、音楽の感覚もつかめる。

 「次に集中すべきことは、歌を通じて、表情豊かに会話をすることだ。歌は自分の今現在の状態の表現であるべきだ—- 現実と別個のものではなく。

 「会話のテクニックを意識すること。相手のセリフからきっかけを掴んで、自分のセリフも、コミュニケーションのボールを床に落とさないように渡さないといけない。

 「今、君は暖炉について話をしている」とスタニスラフスキーはロドルフォに言った。「言葉だけで、アクションなしでやる。伴奏は美しいが、言葉は皮肉たっぷりだ。センチメンタルに愚痴を言っているのではない。自分のうっぷんを、とげのある言葉でぶつけるんだ。

 「明るく若いフランス人の男が、自分が書いている原稿まで笑い飛ばして、自分をなぐさめている。しかも間もなく原稿は暖をとる為に燃やしてしまう。ここはどんよりしたおしゃべりはそぐわない。

 「情熱について歌うのに、ダラっとした格好ではだめだ。語る言葉はすべて、輝かしいエネルギーに満ちているべきだ。俳優はそうでなければ舞台に出て来てはダメだ。手にコンパス(道しるべ)を持たずに舞台にブラリと登場する俳優は、観客に印象を残すことなどできない。

 「軽やかさがこのオペラ芝居の冒頭の性質だ。この若者たちは、何があってもめげないのだ。なんでも楽しみにしてしまうんだ」

 「君たちは、実生活で寒くて身体を暖めないといけない時、何をしたらいいかよく知っている。それまでの体験からほとんど無意識に、反射的にやるだろう。でも舞台では全てが想像で、本当に寒いわけでもない。だから舞台では意識的に、身体的に行うアクションをロジカルに積み上げて行く必要がある。それを分析して繰り返すうちに、いずれ実生活と同じくらい無意識に行えるようになる」

 「なにも大げさな身振りを行う必要はない。マルチェッロとロドルフォの生活の中で、本当に必要なことだけをやればいい」

 そしてスタニスラフスキーは、舞台上で行う全ての動作に真実味があるかどうかを常にチェックするのだった。