注目の歌手シリーズ(2)

注目の歌手シリーズ(2)

  ケリー・オハラは最近日本でも「あの舞台」で有名になりつつある歌手だが、「あのケリー・オハラ」と「このケリー・オハラ」が繋がっていない人もいると思うので、ご紹介。

 まずは彼女が2018年にデスピーナで出演したMetの「コジ・ファン・トゥッテ」をご覧ください。

  https://www.youtube.com/watch?v=E7kYU5YPgZg

 

 普通の立派なソプラノですよね。

 

 ところが彼女は普段はオペラ歌手ではなく、本業はミュージカル俳優である。

 こちらが彼女の出世作の一つ、2006年のミュージカル「パジャマ・ゲーム」(リバイバル公演)。

  https://www.youtube.com/watch?v=uyxjQBvHB6c

 

 これが同じ歌手?! 発声もキャラクターも驚異的に使い分けている。

 

そして現在彼女が日本で脚光を浴びているのは、渡辺謙がブロードウェイとウエストエンドで主演した「王様と私」のアンナ役として。

 

https://www.youtube.com/watch?v=AxTIJrk-9-4

 

 

 今月はTOHOシネマで「王様と私」舞台の映像が上映され、今年7月には来日公演に出演の予定。

 

 ケリー・オハラは1976年生まれ。ブロードウェイのスター歌手の一人で、これまでに「パジャマ・ゲーム」「王様と私」の他、「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」「南太平洋」「マディソン郡の橋」などのミュージカルに主演し、トニー賞も受賞している。

 オペラ出演はごく最近のことで、Met初出演は2014年の「メリー・ウィドウ」(ヴァランシエンヌ役)。次が2018年の「コジ」で、それ以外はほとんどやっていなかった。メリー・ウィドウは英語上演だったので、イタリア語で歌うのは大学以来だとか!

 大学ではオペラを専攻していたが、卒業後はすぐにミュージカルの道に入った。師事した先生はフロレンス・バードウェルという人で、かのクリスティン・チェノウェス(ウィキッドの初演でグリンダを演じたスーパースター)と同じ先生。(クリスティン・チェノウェスもクラシックソプラノと地声を自在に使い分ける歌手である。)

 それにしても、ブロードウェイとMetをこれほど見事にまたいで見せる歌手は彼女くらいだろう。私は去年の夏にルネ・フレミングが出演した「回転木馬」をブロードウェイで観たが、ロジャーズ&ハマースタインの古典ミュージカルだったし、フレミングはクラシックの発声そのままでやっていた。今年彼女がロンドンで出演する予定の「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」もかなりクラシック寄りの音楽だ。他にはブリン・ターフェルが今年ロンドンで「屋根の上のヴァイオリン弾き」に主演予定だが、それも彼の普段の発声で対応できる役だし。

 

 ミュージカル、ポップス、クラシックの発声を自在に操る発声技術は、アメリカが一番発達していると思う。私は現在洗足音大で、まさにそのテクニックを持ったアメリカ人の先生と一緒に教えている。その技術についてはまた改めて書きたいと思うが、ケリー・オハラが「コジ」に出演した際のとても興味深いインタビュー記事を見つけたので、今日はそれを訳します。Playbill誌2018年3月20日の記事(抜粋)です。

 http://www.playbill.com/article/kelli-ohara-on-the-thrills-and-challenges-of-revisiting-opera-after-a-20-year-career-on-broadway

 

Q: Metには「メリー・ウィドウ」から数年を経て久しぶりの出演となったわけですが、1回目で何か学んだことはありましたか?

A: 未知のことがあること自体が大変で、怖くて怖気付きそうになります。自分にはちゃんとできなくて崩壊してしまうんじゃないかと思ったりします。ただ最初の時にわかったことは、舞台は舞台で、どこでも同じだということ。私はずっと舞台で歌ってきたわけですから。最終的にはMetだろうがブロードウェイだろうがあまり変わらないと思いました。観客席から見ながらあれこれ想像するよりも、実際に舞台立って歌う方がずっと簡単です。やり始めさえすれば、楽しくて仕方ないものです。

 

Q: 前回のMet出演は英語上演のオペレッタですが、今回はイタリア語のオペラブッファで、だいぶ違いますよね。

A:  そこが一番恐ろしい部分でした。「本当にできるのか?自分にマスターできるのか」という。オペラを愛していながらミュージカルの世界に行った人間が、たまにオペラの世界に足を踏み入れるというのは可能なのだろうか? もしも20代や30代で多少やっていればちょっとは楽だったかもしれない。イタリア語で一本、ドイツ語で一本、とか。ただそうはならなかった。大学を出てからオペラは20年間休止していました。大学を卒業する時点ではいろんな言語でオペラアリアを歌っていたんです。続けなかったことは後悔しました。でも無理だったんです、忙しすぎて。自分のキャリアで精一杯でした。

 

Q: イタリア語のリブレットにはどのように向き合ったのですか?

A: 基本的にテキストとして向き合うというところから始めました。英語の台本と向き合うのと同じように。全部英語に訳して、全ての意味を把握するようにしました。この言語だとどういうところを強調するかとか、アクセントとかは言語コーチにかなり助けてもらいました。Metのコーチたちは本当によく支えてくれましたが、妥協はなくて厳しかったです。色々な人の助けがあり、また自分の意思も強く持って実現したことです。普通のオペラ歌手ならおそらく6週間程度のことが、私は半年から1年くらいかかりましたね。

 

Q: オペラ歌手は各国のオペラハウスで原語で歌ううちにその言語を身につけたりしますが、あなたはそういう経験を積んできてはないですよね。

A: そんなに自分を他の人と分けて考えはしなかったです。キャストはお互いにサポートしあってましたので。ただもちろん他の歌手の人たちはその言語で歌ってきてますので、彼らがよく知っている言語で歌う様子は刺激になりました。ドラベッラ役のセレーナ・マルフィはナポリ出身なので彼女が筆頭です。彼女は私が発音を間違うとよくウィンクしてきます。

 

Q: ブロードウェイで歌うのとMetで歌うのでは、他にどんなアジャストが必要ですか?

A:  オペラではマイクがない。オペラハウスでは舞台に出たら自分でなんとかしないといけません。自分の声は自分の声なので、一晩で声が大きくなるわけじゃないし、急に響きが増えることもありません。マイクがないと、舞台奥にいる時とか、ちょっと袖を向いた時とかに、聴こえないんじゃないかと不安になったりはします。でも舞台上の他の人たちとアイコンタクトをしたいので、あまり気にしないようにしますが。

 

Q:  その方が自由な感じがするものですか?

A:  マイクがあると全てバレるという面があります。声の不安定さとか、弱点とかが、マイクだと全部伝わってしまいます。マイクがなければバレません。咳払いしたりとか、客席まで届かないことをやっても大丈夫なんです。身体にマイクをつけないで済むのはすごくいい気分です。ワイヤのこととか考えないでいいので。いまだにクセで、衣装をつけるたびにマイクはどこにつけるのか気になったりしますが。

 

Q:  ミュージカルとオペラでは、人物造形と音楽性とのバランスはどんな違いがありますか?

A: 今回の「コジ」はちゃんと5週間稽古があったので、自分が慣れているプロセスと同じでした。オペラだと、特に再演の場合は稽古時間がとても短くて、本番前の二日間だけだったりしますが、自分はそういうのは無理だと思います。キャストメンバーとよく知り合いたいし、空間の感触を得たいし、作品の世界に没入したいのです。「メリー・ウィドウ」と「コジ」はかなりあるべき形で行われたプロダクションだったと思います。稽古プロセスは演劇的に、即興エクササイズなどから始めて、心身ともに自分自身を完全に投入するということをやりました。出演者はみんなそういう風に関わっていましたし、みんなにとって冒険でした。そういうのって演劇的ですよね。演劇の世界でやっている手法です。

 

Q: 元々はクラシックの声楽を勉強されていましたが、どうやって演劇の世界に行ったんですか?

A: 大学に入った時はあまり明確なビジョンがありませんでした。ミュージカル専攻で入りましたが、フロレンス・バードウェル先生の指示ですぐオペラ専攻に変えました。私の声のスタイルがそちら向きだったからです。そう指示してくれてよかったと思っています。卒業まではずっとオペラをやっていました。でも同時に演技のクラスやダンスのクラスを出来るだけ取って、ミュージカルもやっていました。頭の奥ではそっちだという気がしていたからです。4年生になった時、Metのオーディションを受けましたが、どうもこれは自分の世界ではないという気がしました。もっと演技したり喋ったり踊ったりしたいと思わずにいられませんでした。そしたらある日先生が言ったのです、「自分の心に従いなさい」と。私は嬉しくて泣きました。心の奥ではそれがやりたいことだとわかっていたので。それでニューヨークに出てきて、あとはご存知の通りです。

 

Q: 20年間ミュージカルをやってきて、この公演に向き合うというのは特別な背景がありますね。

A: 人は準備ができた時にやるものだということだと思います。ミュージカルの世界に入ろうとしていた頃は、いつも、必要とされているものの隙間に自分がいる気がしました。ミュージカルの作曲家に、自分のクラシックな声に合った曲を書いてもらったりもしました。自分はポップスの歌手ではないし、「ということは私はオペラをやるべきということか?」と、迷ったりもしました。ですからオペラに出るチャンスが巡ってきて、ノーとは言えないですよね。最終的にはミュージカルの世界を選びましたが、大学4年生の時は、Metに出たいと思ってMetのオーディションを受けていたわけですから。クラシックの勉強やその時夢中になったことを忘れたことはなかったです。

 

Q:  今回のデスピーナはどのような人物なのでしょうか?

A:  デスピーナは、男性に関してはあらゆる経験をしてきた女性です。こういう女性は太古の昔からいます。それは、彼女に取っては必ずしもポジティブなことではありません。男性との関係を、あまりにも若い時に経験してしまったからです。そしてそこに痛みと怒りがあります。15歳で全てを知ってしまったアリアを歌うわけです。2018年の現在、女性が15歳で男性のあらゆることを解っていないといけなかったという話をするとしたら、やっぱり何か辛い経験をしてきたんだろうなと思いますよね。デスピーナの闇と、彼女の面白さを、そこに見つけたいと思っています。ユーモアは痛みの中に表れるものですから。彼女は第一印象よりも複雑な女性だと思います。