ナターレ・デ・カロリス公開講座

 今週、勤務先の洗足音大でバリトン歌手ナターレ・デ・カロリスの公開講座が開催されたので見に行きました。カロリスは野田秀樹演出の「フィガロの結婚」に伯爵役で出演していて、その合間に洗足だけでなく他の大学でも同様の講座をやっているようです。

 講座は大学院の学生達が「フィガロの結婚」からいくつかのシーンを演じ、カロリスが細かく直していく形式で行われました。

 指導がとても的確だったので、講義の中で出た主なポイントと、それについて自分が考えた事を書いてみたいと思います。

 

1)感情が変化する瞬間を表情と体ではっきり見せること。

 経験が浅い歌手の傾向として「芝居が流れてしまいがち」ということがある。シーンのある時点から明らかに会話の方向が変わるのに、どこで変わったのかがはっきり芝居に現れず、ダラダラとセリフを喋り合っているだけになってしまう。例えばNo.1デュエットの後のレチタティーヴォ。フィガロとスザンナがラブラブで会話を始めるのだが、伯爵が二人にくれたのが今いるこの部屋だとスザンナが知ったとたんに空気が一変する。するはずなのだが、メリハリのない芝居の場合、変化しないで流れてしまう。こういう所では、はっきりと表情に感情の変化を見せること。同時に体の動きもしっかり止めること。

 西洋人から見ると日本人は不可解なほどいい人に見えるらしい。カロリス曰く「君たち、みんないい人過ぎるよ!」日本では普段の生活の中で、感情をはっきり出すことはあまり推奨されないし、対立もできるだけ避けて、ニコニコしてごまかそうとする。日本人はとにかく対人関係において波風を立てないことを義務づけられているので、意識しないと「ニコニコ」の癖が舞台でも出てしまう。しかし西洋演劇は基本的な構造として、個人と個人が対立するところから始まる。喧嘩とまではいかない場面でも、意見や利害関係は対立するように出来ている。フィガロ対スザンナ、フィガロ対伯爵、スザンナ対伯爵、スザンナ対マルチェリーナ、スザンナ対バジリオ、伯爵対伯爵夫人・・・全てそうなのだ。だから対立ポイントは意識的に外へ表していかなければならない。スザンナは笑顔のまま「なんとなく」フィガロに言い返すのではなく、はっきりと不機嫌さを顔に表して抗議しなければならない。

 体の動きをいったんしっかり止める、というのも実はなかなか勇気がいることで、ある程度経験を積んだパフォーマーでないと出来ないものである。自信がないと、ドギマギして体をくねくね動かし続けてしまう。

 ちなみに体の動きに自信を持つには、なんでも良いからダンスを学ぶのが一番いい。昔読んだ劇作家・演出家の鴻上尚史氏の著書に書いてあったのだが、舞台人がダンスを学ぶ目的は踊れるようになるためではなく、「自分はこういう風に体を動かしているはずだ」という脳内のイメージと、実際の体の動きを一致させるためだと言う。ダンスのレッスンの際は鏡を見ながらやるので、繰り返すうちに、脳内イメージと体が一致してくる。私も体の使い方に自信がなかったので20代の終わりから数年間ジャズダンスを習っていたのだが、これをやっていなかったら本当にヤバかった。

 

 

2)手の動きは自然にすること。

 片手や両手を開いてみせる所謂オペラチックなジェスチャーはしないこと。日常的に人間がやりそうなクセ・・・顔を触るとか、服や体を触る、といった動きに置き換えていくこと。数十年前はオペラチックでも良かったが現代はもうダメ。

 これはほんとに難しいんですよねえ。以前、RADA講師で私の恩師でもあるローナ・マーシャルが新国立劇場のオペラ研修所で指導をした時、「手に力が入りそうになったら、何かを掴め(服とか、道具とか、置き道具など)」と言っていましたが、対策としてそれが一番有効なのかどうかは手探り中。確かなのは、演技がうまい人は手の使い方が本当にうまい事。例えばドミンゴは、全体的な演技スタイルはちょっと古いものの、手の使い方は本当に自然で感心する。イタリアオペラでも決してテノールっぽい・オペラっぽい手の動きに陥ることがない。

 

3)相手役に近寄りすぎず、ある程度の距離を保つこと。

 劇場では相手役との距離が近過ぎると動きが見えづらくなってしまう。相手に向かって直接的に怒ったりするシーンも空間を開けておいたほうが良い。

 

4)舞台上で移動する際は、目的地にいつ到達するかを計算して歩くこと。

 例えばNo.7の前で伯爵がスザンナに言い寄る場面。伯爵が初めから彼女のすぐそばまで行ってしまうと、レチタティーヴォ全部を彼女の体をベタベタ触り続けながら喋るということになってしまい具合が悪い。そこで、ゆっくりと彼女に近づきながら喋り、ようやく到達して彼女を触ろうとしたところでバジリオの声がする、という風にタイミングを計算して動くと良い。

 

5)楽譜を勉強するだけでなく、色々な本を読んだりしてオペラが書かれた当時の風習や社会状況などを知ること。

 例えば伯爵とは屋敷においてどういう立場なのか。他の役は彼に対してどう接するか。彼は他の役にどう接するか。これは楽譜だけ読んでいてもわからない。やはり色々な本を読んで知識をつけ、想像力を働かせることが大事。

 

 さすがに長年世界的な舞台で活躍し続けている歌手だけあり、「どこに着目して、どう直すか」がとても的確で勉強になりました。

 野田版フィガロには、台本を外人キャスト用に英訳するという作業で私も関わらせていただいたため、川崎公演の時にゲネプロを観に行きました。シンプルなセットなのに手品のような仕掛けが次々繰り出されて、ひたすら感心。ただそれで作品の本質が透けて見えるようになっていたかはちょっとわかりませんが・・・。