今月はオペラ関係では二期会「トロヴァトーレ」ゲネプロ、新国立劇場「イェヌーファ」ゲネプロ、新国立劇場オペラ研修所「フィガロの結婚」を観て、どれも興味深かったけれど、強烈に印象に残ったのは東京室内歌劇場の「東京室内歌劇場の歩み」というコンサート(2月26日、伝承ホール)だった。メジャーなオペラ公演を観た後だけに、一層日本のオペラの現状について考えを巡らせることになった。
東京室内歌劇場は1969年に、若杉弘、栗山昌良、畑中良輔、三谷礼二、杉田村雄の諸氏によって設立された。創立50周年に向けた特別企画として過去の上演作品を振り返るコンサートが数回に分けて開催されていて、今回はPart 2 、第四期から第六期の演目を取り上げたもの。
プログラムの裏に掲載されていた、1970年~1975年の公演記録を見て度肝を抜かれた。まずとにかく演目の幅が物凄く広い。そしてスタンダードなレパートリーではない、どちらかというとあまり知られていない作品ばかりがズラっと並んでいるのだが、よく見るとこれが実は一定のポリシーのもとに選りすぐられた意欲的なプログラムだということが分かる。そもそも団体設立の主旨が二期会や藤原などメジャーなオペラを上演する団体に対する対抗軸として、上質な小規模オペラを取り上げるということだったから(司会の青島広志氏談)納得なのだが、それにしてもこのプログラムの充実ぶりは驚異的。
たとえば表の一番上にある、1970年9月上演のペーリ作曲「エウリディーチェ」とバーンスタインの「タヒチ島事件」。(一晩に古典以前の作品と現代作品を組み合わせて二本立てで上演する方針だったらしい。)「エウリディーチェ」は先日私がアントネッロで演出したカッチーニ作曲「エウリディーチェ」と同じ台本に別の作曲家ペーリが曲をつけたもので、カッチーニよりペーリのほうが作曲は先。1600年作曲のオペラ史最初期の作品。史上もっとも古いオペラはペーリの「ダフネ」(1597年)だとされているが、これは楽譜が失われてしまっているため、実質的にはペーリの「エウリディーチェ」が最も古い作品ということになる。モンテヴェルディより前の作品はヨーロッパでもほとんど上演されないのに、ここに目を付けるとは凄い。
一方の「タヒチ島事件」(原題”Trouble in Tahiti)は倦怠期の夫婦の会話で構成されている一幕物で、バーンスタインが詞も書いている。この作品でバーンスタインは出来るだけ当時のアメリカ人の普通の話し言葉を再現するよう工夫し、アメリカの資本主義と郊外のブルジョワジー生活を痛烈に批判したとのこと。「キャンディード」でも「オン・ザ・タウン」でもなくこんな作品に目をつけるところが憎い。しかも一晩で「エウリディーチェ」とこの作品を一挙に上演しようという野心。
古い演目はバロック時代とどまらず、「ダニエル物語」や「ロバンとマリオン」に至っては1200年代の典礼劇や牧歌劇を元とする、つまりオペラが成立するより前の、その源流をはるかにたどる作品である。またバンキエーリの「老いのざれごと “La pazzia senile”」は16世紀終盤~17世紀初頭にはやったマドリガルコメディというジャンルで、ちょうどオペラ成立の時期に平行して存在していた分野のもの。マドリガーレを筋立てにして演奏する。
ジャン=ジャック・ルソー作曲「村の予言者」。モーツァルトと同時代の啓蒙の思想家ルソーはオペラも書いていて、東京で数年前に確かモーツァルト劇場が上演しているが、この作品をすでに1970年代に室内歌劇場が上演していたとは知らなかった。
モンテヴェルディのオペラが傑作として広く認知されるようになったのは20世紀後半からだから、この時期の「オルフェオ」の上演はその波に乗ったものか。
ハイドン「月の世界」はハイドンの数あるオペラの中では最も人気が高く、ユーモアたっぷりで素敵な作品。私もアマチュア時代に2度上演したことがある。サリエリの「オペラ問答」(Prima la musica, poi le parole)は、オペラは音楽と言葉のどちらが先に来るべきかという議論を作品にした楽屋落ち物で、この作品自体はたわいもないが、その後リヒャルト・シュトラウスが「カプリッチョ」で再びこの議論を作品化したり、オペラ史の節目でよく登場するテーマであるという意味では歴史的な意義がある。
一方、近~現代作品のほうに目を向けると、その選択は、原作や台本がしっかりしていることが一つの基準になっているように思われる。カフカ原作「村医者」、ブレヒト台本「マハゴニー市の興亡」、ロルカ「血の婚礼」、ゴーゴリ作「検察官」など、身震いするほど素材が魅力的。
ドイツの歌劇場の指揮者だった若杉氏、ヨーロッパの劇場に通い詰めた三谷氏をはじめとして、このプログラムを選んだ方達はオペラハウスのレパートリーに精通していたに違いないが、それだけではなく、西洋音楽史を俯瞰し、歴史的に意味のある作品を選んでいたように思える。
当時の日本は歌手の水準もヨーロッパと比べて格段に低かったはずだし、今のようには音楽面でも技術面でも専門スタッフがいなくて大変なことも多かったと想像するが、そんな中でも年間に3、4回も次から次へと新しい作品を発表していたとは、感嘆するほかない。
ひるがえって、現在の日本で上演されているオペラは逆にスタンダードな作品ばかりが目につくような気がするし、かえって全体的に保守的になっているような気がする。新国の「イェヌーファ」もチケットの売れ行きが芳しくないらしいし。いったい過去40年あまりで日本のオペラ市場は発展したといえるのか、考え込んでしまう。
室内歌劇場の設立者のひとり、三谷礼二氏は私が敬愛する演出家である。といっても1991年に亡くなってしまっているため、実際に彼の作品を観てはいない。私が彼のことを知るのは唯一、彼の著書を通じてだけ。十数年前に東大前の古本屋で見つけたこの本「オペラのように」(筑摩書房)。1965年から1991年までの間に三谷氏が「レコード芸術」やプログラムノートで発表した様々な文章を遺稿としてまとめた本で、彼の驚異的な音楽やオペラへの造詣の深さ、教養の深さ、なにより音楽と舞台への並ならぬ愛が伝わってくる本だ。
三谷氏は当時としては実験的で斬新な演出で賛否両論を巻き起こしたらしい。本の最後にある年表によれば、ルソー「村の予言者」では人形劇とオペラを融合。ハイドン「月の世界」ではオペラにビデオ映像を初めて持ち込む。ヘンツェ「村医者」では屋外と屋内の両方を利用して立体的劇場空間を生み出した、とある。本当に観てみたかった。