ロッシーニらしいロッシーニとは

  何かのプロダクションに入る前にはよく、その作品の色々なレコーディングの聴き比べをする。いまは「セヴィリアの理髪師」。

 ロッシーニの演奏は難しい。技術的に難しいだけではなく、ロッシーニをロッシーニたらしめる何かが欠けていると、堪え難いほどつまらない音楽になる。平凡な演奏でも何かしら聞き所や発見があるモーツァルトとはそこが違う。

 ロイヤルオペラハウスで指揮者マーク・エルダーのロッシーニについてのレクチャーを聴いた時 (2014年9月の記事)

http://blog.goo.ne.jp/j_iyeda/e/fe369a54e15d985eb172d06745d90a09

彼は「ヴェルディの特性が『ドラマ性』」、ベッリーニが『メロディの美しさ』だとすると、ロッシーニは『エネルギーとリズム』である」と言っていた。まさにその通りだと思った。ところが実際に彼の「セヴィリアの理髪師」を観に行ったら退屈してしまった。本人が力説するほどには彼の演奏にはエネルギーがなく、生真面目でアカデミックな演奏だったのである。

 ロッシーニの演奏に必要なのは、エネルギーという簡単なものではない。「疾風怒濤の突き上げ」と言えばいいだろうか。指揮者の身体の中から噴出するエネルギーがオーケストラに波及し、オーケストラは前のめりで駆け出す。疾走する馬のように。そうやって馬(オーケストラ)を前に走らせておいて、それを絶妙な手綱加減で拍を後ろ目に引っ張り気味にコントロールするのが御者(指揮者)。そういう演奏が理想だ。

 若い頃最初に買った「セヴィリア」のCDはパタネ指揮・ボローニャ歌劇場のもの。当時は歌手でCDを選んでいたので、チェチーリア・バルトリがロジーナというだけの理由で選んだ。しばらく聴いて、これは演奏がノッペリとかなりつまらない事に気がついて、次に選んだのは定番のアッバード指揮ウィーン国立歌劇場。これはこの作品の最初の現代的な(クリティカルエディションに従った)演奏とされていて、キビキビと良い演奏ではあるのだけれど…

 アッバードが物足りなく思えてしまう、疾風怒濤の代表はトスカニーニ。これぞ血沸き肉踊る演奏である。(ただし序曲しか録音は残っていない。) 特にallegro con brioに入ってからの部分で低弦部の上昇音が強調されているのが特徴的で、ベートーヴェンの交響曲のように重厚かつ激しい。ちょっと重いので現代はあまりないタイプの演奏。ただしエレガンスはちょっと足りない。トスカニーニが性質的に一番合っているのはやはりヴェルディかも。

 https://www.youtube.com/watch?v=yKeFrEB-rqk

 色々聴いた中で、いま一番好きなのはサンティ指揮・チューリヒ歌劇場の演奏。残念ながらCDになっていなくてDVDしかないのだが。「疾風怒濤」でありながら、それだけではない。序曲だけでもセクションごとに表情がくるくる変わり、洒脱である。これから始まる喜劇を期待させる。すべての役のすべての歌詞をそらで歌える、真のオペラハウスのマエストロだからこそ出来る演奏。

https://www.youtube.com/watch?v=x5eKnV2Q06I


 

 で・・・どちらも素晴らしいトスカニーニとサンティを分けるものが何かといったら、ユーモアのセンスかな? という訳で、ロッシーニをロッシーニたらしめる特性は「リズムと疾風怒濤のエネルギーとユーモア」という事にしましょう。

 

 

おまけ。こちらはトスカニーニの「ウィリアム・テル」序曲。まさに疾風怒濤の代表格! このテンポは楽器の性能が許す限り最も早いテンポだそうだ。(有名な速い部分は8:43頃から)

https://www.youtube.com/watch?v=GnN8pDOu0lE

 

 良い演奏なら何度聴いても飽きないのがロッシーニ!