トリスタンとイゾルデ(1) トリスタンという人物について

 

 「トリスタンとイゾルデ」は難しい。ワーグナー作品の中でも最も難解かもしれない。

 ストーリーはごく単純で、4時間の長さの割にはその間に起こる出来事は本当に少ない。テキストはもっぱら、登場人物たちの主観的内面に集中しており、禅問答のようなやりとり・形而上的な独白が延々と繰り広げられる。その意味が腑に落ちる状態になるには単純にテキストを読んでいるだけでは不可能だ。これまでに生でも映像も色々と観てきてはいる作品だが、実際に勉強するとなると手強く、半年以上かけて読んでも理解できたとは言えなかった。

 とりわけトリスタンという人物がよくわからない。彼が比類なき英雄と称えられていることは他の人物たちのセリフから分かるが、その英雄がなぜイゾルデと出会ってこれほど葛藤するのか。彼はほとんど4時間ずっと悶々と悩んでいるので、英雄と言われてもピンと来ないくらいだ。そして彼が何度も口にする「昼」と「夜」とは何なのか。

 幸い、最近出会った分析本が今まで読んだ解説書の中では最も納得のいくもので、特にトリスタンという人物についての理解が多少なりとも出来た結果、作品そのものの理解も多少は進んだ気がする。トリスタンはどういう人物なのかという観点から作品分析をしたいと思う。

 

 ヨーロッパでは古くから「トリスタンとイゾルデ伝説」が様々な形態で存在したが、ワーグナーがこのオペラを書くにあたって主に参照したのは13世紀の詩人ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクによる「トリスタンとイゾルデ」である。シュトラスブルクの「トリスタン」にはトリスタンの生い立ちが詳細に書かれており、これが彼の人物像を理解する上で重要なのだが、オペラ化するにあたってワーグナーは最も大事な部分以外は省略してしまった。原作について話し出すと長くなるので別の機会に譲るとして、重要なのは、トリスタンは公には輝かしい英雄だが、内面は孤独な孤児だという点である。

 彼の父親は彼が生まれる前に死に、母親は彼を産む時に死んだ。作品中に家族としては叔父であるマルケ王以外の名前は出てこないことから、マルケ王が彼の唯一の親族であり、幼少時から母や父の温かい愛情に近いものにはほとんど触れることなく、いきなり王の甥として、名誉と忠誠を重んじる大人の世界に放り込まれたと推測される。

 トリスタンは物心ついて以来、王と国のために一生を捧げてきた。ブランゲーネやクルヴェナールなど他の人物たちの語る内容からすると、彼は勇敢な戦士で、忠誠心が強く、礼儀正しく、部下たちの信頼と信奉を集める、国内外に英雄として名を馳せる騎士である。

 

              dem Wunder aller Reiche,

              dem hochgepries’nen Mann,

              dem Helden ohne Gleiche,

              des Ruhmes Hort und Bann?

              諸国で奇蹟と称えられ、

              山ほどの称賛をあびている、

              比類ない勇士で、一身に

              栄誉を集めている、あのお方のことを? 

              (1幕2場、ブランゲーネ)

 

また本人も名誉を重んじる公の立場の自分を誇りとしてきた。

              Tristans Ehre,

              Höchste Treu’!

              トリスタンの誉れ、

              忠誠の極み!

              (1幕5場、トリスタン)

 

 名誉、忠義心といったものは意識して作り上げる「理性」の領域であり、「男の世界」の価値観であり、まさに「昼」の世界の象徴である。

 しかし昼の世界で見せる彼の姿は彼の表の顔にすぎず、彼の内側には別の秘密の顔がある。それは、幼少時に必要な愛に全く満たされることがなかった、愛情に飢えた子供である。心理学で言うインナーチャイルドが彼の中で叫んでいるのである。本当のトリスタンは孤独で、弱さを抱えている。物語の前史で、瀕死の状態でイゾルデに介抱される中、二人はお互いの目を覗き込み、お互いの本質を見抜いてしまう。イゾルデの目に映ったのは孤独な孤児だったに違いない。一方トリスタンはイゾルデに、彼が無意識に渇望してきた母親の愛情を見つけたのではないだろうか。それに呼応したイゾルデの愛はほとんど母性本能といっても良い気がする。

 しかしトリスタンは自分の中に発見した孤独な子供を封印し、忠義心に満ちた昼の顔を取り戻し、マルケ王の花嫁としてイゾルデを差し出そうとする。この昼の顔はイゾルデが垣間見たトリスタンの秘密の顔と相いれない。イゾルデは裏切られたと感じ、その欺瞞を告発する。そして死の薬(実際には媚薬)を二人で飲んだ時、トリスタンの昼の鎧はこっぱみじんに吹き飛んでしまう。

 母親の世界は「夜」の世界であり、「無意識」の領域である。暗い胎内で育まれる命。普通の人間は生まれ出てもその後数年、母親に守られ、精神状態としては母親の胎内と外の世界の境界線が曖昧な、ほの暗い世界で育つ。しかしトリスタンは生まれた時にこの温かな夜の世界から剥ぎ取られ、無理やり昼の世界に引っ張り込まれてしまった。彼が2幕と3幕でひたすら焦がれ続けるのはこの夜の世界である。

 

 2幕の愛の場面は、音楽はエロティックだが、テキストを読むとそこに描かれるのは、性愛が暗示されつつも、生まれる前の状態、胎内でひとつに溶け合った状態への憧れのようにも読める。

             

              So stürben wir,

              um ungetrennt

              死にましょう

              離れることなく、

              ewig einig

              ohne End’

              永遠に一つのものとして

              終わりもなく、

              ohn’ Erwachen

              目覚めもなく、

              ohn’ Erbangen

              怖れもなく、

              namenlos

              in Lieb‘ umfangen

              名前もなく

              愛に包まれて

              ganz uns selbst gegeben,

              der Liebe nur zu leben!

              お互いにすべて与えあって

              ただ愛に生きるために!

        (2幕2場、トリスタン、イゾルデ

 

 その時、トリスタンはイゾルデの胎内にいるのか、それともトリスタンとイゾルデは双子のように一つの胎内にいるのか? (「ニーベルングの指環」でも双子ジークムントとジークリンデの愛が至高の愛として称賛されるのを思い出す。)

 心理学で、人間の最初の別離は母親の胎内から引き剥がされる時であり、そのトラウマが孤独感として残り続けるという見方があるが、トリスタンはまさに母親の胎内にいる至福の状態に戻りたがっていると感じられる。彼の憧れる死の世界は、キリスト教的なこの生の終わりではなく、仏教的な世界観で生と生の間にある、たゆたうような暗闇の世界なのではないだろうか。

 

              Ich war,

              wo ich von je gewesen,

              wohin auf je ich geh,

              私がいたのは、

              かねてから私がいたところ、

              いずれ私が赴く先、

              im weiten Reich

              der Weltennnacht.

              宇宙を包む、広い

              夜の闇の国だった。

              (3幕1場、トリスタン)

 

  3幕でトリスタンは、イゾルデとの致命的な愛に自分が引き込まれたのは自分の生い立ちが原因であり、媚薬は自分自身が調合したに他ならないと語る。長い年月の隔離による悲嘆と空虚な栄光の裏側に隠された渇望が、この致命的な愛を引き起こしたのである。

 

            Den furchtbaren Trank,

              der der Qual mich vertraut,

              ich selbst — ich selbst,

              ich hab‘ ihn gebraut!

              あの無慈悲な飲み物、

              私を苦痛に委ねたくすり、

              私自身が — 私自身が

              みずから、それを醸したのだ!

              aus Vaters Not

              und Mutterweh,

              aus Liebestränen

              eh‘ und je —

              父の苦しみと

              母の痛みから、

              愛の涙のしずくの、

              折々に流されたものから

     (3幕1場、トリスタン)

             

 

 メーロトに傷を負わされたトリスタンにとって、イゾルデの不在は存在の危機であり、彼女にしか彼を治癒することはできない。3幕でイゾルデは何度もÄrztin (医者)という呼び方をされる。治癒者としての恋人というのもまた、イゾルデの母性を感じさせる。イゾルデの愛は100%全身全霊のコミットメントの形をとる。そのような愛でしか、孤児でありアウトサイダーであるトリスタンは癒されない。

 全身全霊・無条件の愛情といえば、「さまよえるオランダ人」のゼンタもそうだし、またワーグナーの人生後半のパートナーとなったコジマもそうである。それほどの完全無欠な愛は、強烈すぎて周囲そして子孫たちに負の遺産を負わせていくのだが — 

 

 

 参考文献:

Scruton, Roger. Death-Devoted Heart: Sex and the Sacred in Wagner’s Tristan and Isolde, Oxford University Press, 2004.

歌詞の訳は音楽之友社「オペラ対訳ライブラリー:トリスタンとイゾルデ」より拝借したものに、若干アレンジを加えています。