カロリーネ・グルーバー「ルル」プレトーク

 2月22日に東京文化会館で行われた、今年7月の東京二期会「ルル」の演出家カロリーネ・グルーバーのプレトークで通訳をしました。記憶とメモを辿りながら、その一部を記録しておきます。

 彼女とは比較的長い付き合いになる私も知らなかったことを色々知りました。

 

 

  • 演出家を目指したきっかけ

 

 幼い頃からクラシック音楽と親しむ環境で育ったわけでは全くない。自分の故郷はオーストリアの田舎で、クラシックを聴く文化もなく、主にポップスやフォークミュージックを聴いていた。ただ当時からストーリーを持つものには関心があり、映画や本は好きだった。

 ウィーン大学では演劇を学んでいたが、あるとき友達に誘われて国立歌劇場の公演を観に行った。当時の学生席は今より更に安く、桟敷の立ち見席で観た。その演目は「ラ・ボエーム」。演出はゼッフィレッリ、主演はフレーニ、指揮はシノーポリ。それは頭が爆発するような体験で、すっかりオペラに夢中になってしまった。

 次に観た演目は「薔薇の騎士」。クライバー指揮、レオニー・リザネクとブリギッテ・ファスベンダー主演。

 三本目は「フィガロの結婚」。その時は事前にストーリーを予習して行った。フランス革命の話で、階級や文明の衝突、なるほど面白そうだと思った。そして実際に観た公演は装置や衣裳はとても美しかったのだが、何かスリルが足りないような気がした。

 それで、それについての文句を大学で友達に言っていたら、「そんなに言うなら、自分が演出したらいいんじゃない?」と言われた。

 そこである時歌劇場に行って、当時の常任演出家であったオットー・シェンクに「稽古を見学させてもらえないか」と頼んでみた。

 当時のウィーン国立歌劇場はドミンゴやパヴァロッティなど大物スターの黄金時代で、セキュリティが厳しく、一般の人がふらっと入れるような場所では全くなかった。しかしラッキーなことに、シェンクは私を見て「いいよ、どうぞ」と言ってくれたのである。それが自分のオペラキャリアのスタートとなった。

 (注:シェンクに会って頼めば誰にでもこんなことが許可されたとは思えない。大物というのは相手のポテンシャルを瞬時に見抜く力を持っているもので、シェンクもカロリーネを見て何かを感じ取ったのだろう)

 

 それから大学で音楽学、芸術全般、哲学などを学びつつ、歌劇場で助手を務める日々を過ごした。

 色々なオペラに接しながら常に興味があったのは、「なぜオペラはこういうストーリーなのだろうか」ということだった。オペラは男性が作ったもので、最後に死ぬのはまず女性であり、男性側から見たストーリーである。オペラを自分側、つまり女性側から見るとどうなるか、を考えるのがある種、自分の使命となった。

 

 幸運だったのは、私が仕事を始めた頃、女性演出家を使ってみようと考えるインテンダントが増えていたことである。私はヨーロッパで女性演出家としては草分けの存在になった。

 ただ、いわゆるスタンダードのレパートリーはなかなかチャンスが与えられなかったので、バロックや世界初演を手がけることが多かった。

 

  • 演出家としての信条

 

 よく、演出家によっては「一生に一度はリングをやりたい」とか「薔薇の騎士がやりたい」という夢があったりするが、私はそういったこだわりはなく、なんでもやりたい方。大事なのは、その作品に自分の心が動かされるかどうか。どんなオペラでも人生の問題と関わっているものだ。たとえそれが神々を扱うバロック作品であっても、ヤナーチェクや、シェイクスピアを原作とする作品のような心理劇であっても。

 

 一つの作品を手がける際、私はまず、ストーリーをよく読む。だがその後で音楽を聴くと、また別のアイディアが浮かんでくる。

 音楽は自分にとってとても大事で、ファンタジーを呼び起こしてくれるもの。

 キャリアの最初の頃は演劇も手がけたが、音楽がないのが寂しくて、すぐオペラに戻ってきてしまった。バロックでも現代物でも好き。音楽を聴くと、ストーリーそのものだけではなく、深層を想起させてくれる。

 

  • ルルという作品との縁

 

 自分にとってルルは特別である。ベルクはオーストリア人であり、また学生時代はウィーンで勉強しながら、ウィーンで活躍した芸術家たちのスピリットを感じていた。特に新ウィーン学派には魅了されていた。

 ベルクは若くして亡くなったので、生きていたらもっと色々な作品を書いていただろうと思うし、それだけルルには価値がある。

 2005年に初めて指揮者のシモーネ・ヤングと組んだ時、女性のコンビということで注目された。女性二人は無理だろうと言われたが「妖精ヴィッリ」は成功し、その後5回、一緒に仕事をすることになった。

 彼女とはずっと「ルルをやろう」という話は出ていた。私たちは女性なのだからあの作品をやるべきだ、と。でも毎回違う計画が出てきてしまい、実現せずに来た。

 

  • 今回の演出のポイント

 

 今はまだ詳しく話せないが、この作品で一番興味があるのは、男と女がお互いをどう見ているかという点。ルルは男性から見た「対象」であるが、自己がある主体でもある。どの瞬間彼女は対象で、どの瞬間がリアルな彼女自身なのかを探りたい。コンテンポラリーダンサーを使って、ルルの内側、彼女の魂を表すことをやろうと思っている。

 ある意味で、自分の長い演出家としてのキャリアの集大成だと思っている。

 

 男性から見たルルと女性から見たルルは全く違う。

 これまでルルの色々な公演を観てきたが、男性が演出する場合、彼らはルルに魅了され、あらゆる男のファンタジーを彼女に投影しようとする。彼女は動物的だったり、誘惑者だったりする。

 しかし女性から見ると、彼女のことは哀れにしか思えない。自分の人生がなく、所有物でしかないからだ。

 

 最近時代が変わって、女性が自分の主張をできるようになった。このオペラに内包されていることを初めて公に言える時代になっている。このオペラはMe Too Operaと言えると思う。

 

  • なぜ3幕版ではなく2幕版をやることにしたか

 

 まず、ベルクが死んだ後に未亡人のヘレーネが、「このオペラは誰も完成させてはいけない」と遺言を残している事実がある。3幕版はフリードリヒ・チェルハが彼女の許可を得ずに、彼女が亡くなった後、スケッチから書いたもの。我々は最初に承認されたバージョンでやる。

 もう一つの理由として、残念ながらヨーロッパでもオペラの観客や予算は縮小傾向にあり、そのため、プロダクションの規模を小さくとどめたい傾向がある。ヨーロッパの劇場との提携を探る場合、2幕版の方が受け入れられやすい。