「ファルスタッフ」を勉強するにつれ、この作品は「フィガロの結婚」を意識して書かれていることを強く感じるようになった。
「ファルスタッフ」の原作であるシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」がそもそも構造的に「フィガロ」に似ている。しかしボーイトは原作をスリムダウンすることで、二つの作品の共通点を際立たせただけでなく、「フィガロ」からのさりげない引用を重ねてもいる。オペラ「ファルスタッフ」はいわばヴェルディ版「フィガロ」。そして騎士ファルスタッフは、ケルビーノののちの姿なのだ。
「フィガロ」と「ファルスタッフ」はどちらも、大まかにまとめると「恋多き男を女性たちがチームワークでとっちめるドタバタ喜劇」である。
どちらにも「大人のカップル」(「フィガロ」は伯爵と伯爵夫人、「ファルスタッフ」はフォードとアリーチェ)と「若いカップル」(フェントンとナンネッタ)がいて、それぞれの恋愛事情が交錯する。「大人のカップル」は年を経たが故の悩みを抱え、「若いカップル」は、障害のためになかなか恋が成就されない。
そこに、双方に余計なことを吹き込む邪魔者がウロウロし、事態は混乱する(「フィガロ」ではバジリオ、「ファルスタッフ」ではバルドルフォとピストーラ)。
ただし、「ファルスタッフ」において恋多きファルスタッフはアルマヴィーヴァ伯爵ではなく、伯爵の若い化身であるケルビーノであると思われる。
と言うのもファルスタッフは若い頃は小姓であったと強調するセリフがオペラにあるのだ。
オペラでファルスタッフが「昔ノーフォーク公爵の小姓であった」というくだりは、「ウィンザー」ではなく「ヘンリー4世」(ファルスタッフが登場する最初のシェイクスピア作品)からの引用である。(ボーイトは「ファルスタッフ」の台本を書くにあたり、ファルスタッフの人物像に厚みを持たせるため「ヘンリー4世」からも多数引用している)
オペラでファルスタッフがアリーチェを口説く中で「自分が昔ノーフォーク公爵の小姓だった頃はほっそりしていて、指輪の穴もすり抜けるほどだった」と語る台詞は唐突に思えるのだが、これが「フィガロの結婚」のケルビーノの姿をさりげなく想起させるためのセリフだとすると納得がいく。ケルビーノは「フィガロ」において、屋敷のあちこちをシュルシュルとすり抜けては女たちにちょっかいを出す人物だからだ。
「フィガロ」と「ファルスタッフ」の人物の置き換えは、このようになる。
ケルビーノ = ファルスタッフ
アルマヴィーヴァ伯爵 = フォード
(両方とも妻の浮気を疑い、現場に乗り込む)
スザンナと伯爵夫人の総合体 = アリーチェ
(誘惑される女性であり、トンチで男をやっつける側でもある)
ボーイトが「ファルスタッフ」に盛り込んだ「フィガロ」との共通点は、2幕2場と3幕2場に特に現れている。
ケルビーノは伯爵夫人の部屋にきて、恋の詩を歌う。スザンナがギターで伴奏。
ファルスタッフはアリーチェの部屋にきて、恋の詩を歌う。アリーチェがリュートで伴奏。(アリーチェが伴奏するアクションは原作にはない)
そこへ伯爵が激怒して乗り込み、ケルビーノはクロゼットに隠れる。
フォードが激怒して乗り込み、ファルスタッフは衝立、次に洗濯籠に隠れる。
ケルビーノは伯爵が出て行った隙に、窓から飛び降りる。
ファルスタッフはフォードが出ていった隙に、窓から放り投げられる。(原作では、ファルスタッフは窓から放り投げられるのではなく、カゴに入れられて運び出されるだけ)
「フィガロ」最終幕では、衣裳の交換と、人物の取り違えが起こる。
「ファルスタッフ」最終場では、衣裳の交換と、人物の取り違えが起こる。(原作では、取り違えは場面の外で起こるため、その場での混乱や驚きはない)
さらに、ボーイトはちょっとした「フィガロ」からちょっとした小ネタも盛り込んでいる。
「フィガロ」1幕で、恋敵同士であるスザンナとマルチェッリーナは、部屋を出て行こうとして、お互い譲り合う。
「ファルスタッフ」2幕で、恋敵同士であるファルスタッフとフォードは、部屋を出て行こうとして、お互い譲り合う。(原作にはない)
「ファルスタッフ」最終場で、ファルスタッフは男たちから棒で突っつかれて(“pizzica, stuzzica”) 散々な目に遭うが、この”pizzica”という言葉は「フィガロ」最終幕でスザンナが、フィガロが伯爵夫人を口説いていると勘違いしてイライラする時に使う言葉である。
両方とも、恋で遊ぼうとしたら、逆に自分が痛い目に遭っている、という訳だ。
“Picciol Cherubino(チビのケルビーノ)”はヴェルディとボーイトにおいて”Enorme Falstaff(巨大なファルスタッフ)”になったのだ。
さて、いよいよ立ち稽古開始、今回の公演がどうなるのか非常に楽しみです。