「こうもり」(1)…アイゼンシュタインは何故フランスの貴族を名乗るのか?

 ヨハン・シュトラウス「こうもり」は単なるスラップスティック喜劇ではない。19世紀ウィーンの社会背景を少し知っておくと、窮地をとんちで切り抜けようとする登場人物たちの状況とそこから生まれる可笑しみがより一層際立ってくる。
 例えば主人公アイゼンシュタインと刑務所長フランクはオルロフスキーの舞踏会に潜入する際、なぜ単なる「貴族」ではなく「フランスの貴族」を名乗らなくてはならないのだろう? 
 それは、19世紀当時のウィーンの貴族社会は極めて限定的な家系が支配する閉じられた社会であり、偽名を名乗ったところで地元では貴族かそうでないかはたちどころにばれてしまったからである。

 W.M.ジョンストン著「ウィーン精神」には当時のウィーンにおける貴族社会の階級構成と爵位が詳細に説明されている。
 「一口に上流社会といっても、実際は二つのグループに分かれている。貴族社会のトップグループである上級貴族(HochadelないしAristokratie)と、セカンド・グループである下級貴族(叙爵による非領主的貴族BriefadelないしはDienstadel)である。また同じ上級貴族でも、1806年の神聖ローマ帝国消滅以前から領邦君主として統治していた血筋と、それ以外の血筋では差があった。上級貴族は大公 (Erzherzog)を名乗る皇族か、侯爵 (Furst) ないし伯爵(Graf) の称号を持つ人々である。下級貴族は…新規に位階を授与された人々で、序列順にいえば男爵(Freiherr)、士族(Ritter)、それからたんにフォン(von)しかつかない人々に分かれていた。」「下級貴族は宮廷に参内することは許されなかった。参内の資格を得るには、紋章の四つ割を16持っていなければならない。16人の曾曾祖父母全員が貴族でなくてはならない。」同じ貴族といっても、上級貴族と下級貴族の間には大きな身分の差があり、更にその中にも細かい区分があったことがわかる。
 上記に従えば、ガブリエル・フォン・アイゼンシュタインは市民階級ながら何らかの功績により新規に称号を与えられた家系の人物ということになり、いちおう下級貴族の末端に名を連ねる身分ではある。その人物が、舞踏会に行くにあたって「侯爵(フランスではMarquee)」、ウィーンの階級でいえばトップから次に相当する位を名乗るわけだから、かなり大胆な行動だと言える。アイゼンシュタインはパーティでは身元がバレないかヒヤヒヤし、自分の振る舞いがその場にふさわしいか、他の招待客と適切な会話が交わせているのかどうか絶えず不安になるはずだ。

 「ウィーン精神」から記述を続ける。「上級貴族の家系は、80家族しかなかった。80家族といっても、幾重にも姻戚関係でつながっているから、ひとつの大きな閨閥にすぎない。お互い同士は親称代名詞(du)やニックネームで呼び合っていた。…したがって、家庭の事情はお互いに隅々まで知り合っていた。相手は限られていたし、折あるごとに訪問しあっているから、ほんの一言二言で、話は通じた。」
 これではアイゼンシュタインがウィーンの貴族を名乗れるわけはなく、異国からの来訪者のふりをしなければならないのも当然であろう。(他の国ではなくフランスと偽るのはもちろん、のちのフランクとの偽フランス語会話で笑いを取るためだろう… フランス語を真似る可笑しさは世界共通なんですね)
 アイゼンシュタインと刑務所長のフランクが身分を偽るにあたって強いられている緊張感がわかれば、ニセの貴族とバレないために彼らがあの手この手で四苦八苦しなければならない事情もわかる。演技にも一層の切実さがこもるのではないだろうか。

参考文献 W.M.ジョンストン「ウィーン精神」ハープスブルク帝国の思想と社会 1848-1938」井上修一、岩切正介、林部圭一訳 みすず書房 1986年