「こうもり」(2)…アイゼンシュタインが狙う「ネズミちゃん」とは

 ファルケは「君の大好きなオペラ座のネズミちゃんたちを捕まえにオルロフルキーのパーティに行こう」とアイゼンシュタインをけしかける。
 「ネズミちゃん」(Mäuschen)はドイツ語で主に若い子への呼びかけに使われる愛称だが、これが劇場のネズミちゃんとなるとまた特別な意味合いを持っていた。鹿島茂「職業別パリ風俗」に出てくる記述を読んで、はたと「こうもり」のことに思い当った。(当時のウィーンの、特に上流社会はパリの風俗を追髄していたから、パリの文化・風俗事情はウィーンにも当てはまるのではないかと考えられる)
 
 「パリ風俗」に紹介されているテオフィル・ゴーティエ著「オペラ座ネズミ」によると、オペラ座ネズミとはオペラ座付属踊り子養成学校生徒たちのこと。劇場の中をネズミのようにチョコマカと走り回り、いたるところでおやつを齧っているところからその名がついたとされる。年の頃は8歳から14,5歳まで。たいていは下層階級の出身で、かつて自身が舞台女優になることを憧れた母親に強制的にその道に入れられた女の子たち。
 19世紀、下層階級の娘が自力で貧しさから抜け出すには、高級娼婦になるか女優になるしかなかった。母親は自分が叶えられなかった夢を娘に託すのだ。幼い彼女たちは日中は劇場でレッスンに励み、夜はコールドバレエとして公演のバックで踊るというハードな生活を送る。 
 ネズミたちが学ぶのはバレエの技術だけではない。大事なのは端役のうちに良いパトロンを探してより大きな舞台に引っ張ってもらい、スター女優になることだ。そこで「オペラ座ネズミの母親は…色目使いとつぶらな瞳の動かし方を教える。オペラ座ネズミという、この腕の細い、目の疲れた、青白い哀れな生き物に、家族の期待がすべてかかっているのである」(同書)

 また洋服店の店員や裁縫アトリエのお針子(グリゼット)にも女優志願者は多い。劇場に通い詰めてはその煌びやかな世界に身を浸し、退屈な仕事を週末ごとに抜け出して演劇学校でレッスンを受けるうちに、女優こそは自分の天職だと思い込むにいたる。「自分を売り込むことに、もはやためらいはない。もちろん、監督に、次の芝居でデビューさせてくれと頼むことなど朝飯前である。かくして、元お針子、元ブティック店員は、見事、女優や踊り子に変身することに成功する。ただし、その他大勢の端役として。だがそんなことは一向に気にならない。今日は端役でも、明日は主演女優、プリマ・ドンナになれるかもしれないではないか。」「もちろん、女優になろうとするぐらいだから、体のどこもかしこも、それなりに美しいのだが、それだけでは認められるには足りない。それらの美点を客席からしっかりと見てもらって、セリ値をあげてもらうには、端役の一団の中で、一番前に並んでいなければならないからである。したがって、この位置を確保するためとあらば、彼女はいかなるコケトリーや策略も辞さないだろう。劇場主、作者、舞台監督など多少とも影響力のある関係者すべてがターゲットとなる。」そうやって舞台の目立つ場所に立った上で彼女たちの最終的な目標は、お金持ちのパトロンを確保して、彼の力で主役の座を手に入れることである。

 国は違えど、ウィーンのオペラ座の端役バレリーナであるイーダ(アデーレの姉)と、女優を夢見るアデーレの姿が、まさに重なるではないか。オルロフスキーの舞踏会に精一杯おめかしをして出かけてくるのは、彼女たちなりの切実な事情があってのことなのだ。ターゲットになりそうな男性には片端から色目を使う。いかにもお金持ちで優しそうなフランクに目をつけたら、あとは一直線。
 
 オペラ座ネズミちゃんたちと一夜の戯れを楽しみたい男どもと、本気で下剋上をかけて彼らを誘惑する女性たち。このギャップこそが「こうもり」の笑いと哀愁を生むのだ。

 

参考文献 鹿島茂「職業別パリ風俗」白水社 1999年発行