「ワルキューレ」…フンディングは何故ジークムントをその場で殺さないのか


 ワーグナー「ワルキューレ」1幕で、戦いで傷を負った主人公ジークムントは敵方フンディングの館にそれとは知らずにさまよい込む。そこへ帰ってきたフンディングはジークムントと会話するうち、相手が自分の一族の復讐を果たすため追い求めていた宿敵その人だと知る。ところがフンディングはその場でジークムントにとどめの一撃を加えることはせず、一宿一飯の猶予を与えて「決着は明日に」と言って寝床に引き上げる。敵を仕留めるのにこれほど好都合のタイミングをわざわざ見逃して決闘を翌日に引き延ばすとは、いったいどういう訳なのだろうか? 
 これは中世ヨーロッパにおいて、罪を犯してしまった者が一時的に逃げ込める場所を提供した「アジール(ドイツ語ではフライウング)」という制度で説明できる。

  古代・中世ヨーロッパでは警察という機構がなかったから、人々は自力で生命や財産を守るために戦ったり交渉したりしなければならなかった。もしも家族が誰かに殺されたら、自分で犯人を捕まえて裁判所に突き出さなくてはならない。裁判所が加害者の罪を認める判決を出したとしても、処刑は被害者が自ら執行しなければならない場合もあった。近親者が殺された時には縁者に復讐の義務があった。
 しかし公的機関が現代のように発達していない時代でも、人間はさまざまなやり方で社会のある程度の秩序を確保していた。第三者的な立場から介入してくれる国家機関の代わりに、様々な不文律が人々の行動を規定していた。
 殺人といっても色々な事情がある。もしも故意ではなく、たまたま何らかの事故で人を殺してしまったり、喧嘩の最中についカッとなって相手を刺してしまうなど、罪の所在がはっきりしないような場合でも、被害者の縁者は復讐にのりだしてくる。そこで加害者が逃げ込んで一時的に保護を受けることができるのがアジールだった。教会、領主の館、家、墓地などがそれにあたり、神聖で安全な場所とされる。そこへたどり着いた者は保護され、追手はその領域内に侵入することは許されない。(ただしいつまでも保護されるわけではなく、逃亡した者に対する裁判が行われ、判決が出るまでの期間だった。)加害者・被害者同士の復讐が徹底的に行われた時代だったからこそ、アジールの役割もまた重要視され、アジールを冒す者は厳しく罰せられた。

 ワルキューレのケースではジークムントは家の中、しかも領主であるフンディングの家に逃げ込んで来た訳だから、フンディングとしてはたとえ相手が宿敵で、そこが自分の家であっても、不文律を破るわけにはいかない。それに、ジークムントと最初に顔を合わせた際に「我が家のかまどは神聖である。客人にもこのかまどを神聖と思ってもらわねばならぬ」と宣言したばかりだ。神聖であるということはすなわち、神の名において、館の主としてもまた客体としてのかまどの威信を守る義務があるということだ。そういう訳でフンディングは、おそらく歯ぎしりをしながら、ジークムントにわずか一晩だけの休息を与える。ここに名誉と秩序を重んじるフンディングの律儀さと、それゆえに敵をその場で撃ち殺すことができない彼の激しい葛藤が察せられるのだ。

参考文献 阿部謹也「中世の星の下で」ちくま学芸文庫 2010年発行