訳詞という作業について

 「天才執事ジーヴス」開幕にちなんで、訳詞という作業についても考えてみます。 

 訳詞は翻訳の中でも制約の多い部類に入る。音楽の形の中にあてはめていくので自由度が極端に低い。英語と日本語の構造の違いにより、ワンフレーズの中に日本語で表現できる要素はだいたい英語の半分以下になってしまうし、高音は母音が「ア」か「オ」のような口を大きく開く音でなければ歌いにくいなど、基本的なことだけでも色々と枷がある。

 

(ただしミュージカルの訳詞はミュージカル映画やアニメ映画の訳詞ほどは条件が厳しくない。映画の場合はすでにある映像に当てて歌詞を作るため、人物の口の形に母音を合わせていかなければならないからだ。最近はアニメの映像も口の形までかなりリアルになっているから、作業の困難さは想像を絶する・・・「アナ雪」は最たる例。)

 

 これまでにビジネスや技術翻訳から、絵本の翻訳、戯曲翻訳、字幕まで様々な種類の翻訳を手掛けてきたが、誤解を恐れずに言えば、訳詞は「インスピレーション」に頼る度合いが大きい。もちろんこれは、あてずっぽうで思いつきのままに歌詞を考えるという意味ではない。技術的な側面を固めていった上で、最後は自分の身体の感覚的なところから「ぽっ」と生まれる言葉を待つ、という感じなのだ。

 

 私がミュージカルの訳詞をする手順はだいたいこのようなものになってきている。

 

・まずオリジナルレコーディングを毎日毎日、繰り返し聴き、楽曲を身体に染み込ませる。この段階が何よりも重要。何度も聴くことによってメロディ、歌詞の内容、オーケストラのアレンジまでが完全に身体に入ってくると、運が良ければ、ふと自然に日本語の歌詞が浮かんでくることもある。

 

・同時に台本をよく読んで、ストーリー、各人物の性格、芝居中にその曲が歌われる時の状況などもしっかり把握する。

 

・曲のサビの部分(ヴァースとも言う)、及び一番のキメのフレーズの歌詞をつらつらと考え始める。これは机に向かってではなく、歩いたり歯を磨いたり、日常の動作をしている時に考えをめぐらすのが良いようだ。一般的なミュージカルやポップスではどの曲にもキー・フレーズというものがあり、オリジナルの歌詞も印象に残る言葉が使われていて、その曲のタイトルになっていることが多い。ここに日本語でもいいフレーズが見つかれば、その曲は半分くらい成功した気分になる。来場したお客様が休憩中のトイレや帰り道で口ずさんでくれるようなキャッチーな日本語を見つけるのが目標だ。たとえば今回の「ジーヴス」で言うと、テーマソング “By Jeeves”  のキー・フレーズに「そう、ジーヴスに訊け」という日本語が浮かんだ時には「やった!」という気分になった。(オリジナルは “By George, by Jove, by Jeeves.”)

 

・ここまで出来たら、机に座って頭から歌詞を考えていく。ワンフレーズごとに日本語の訳をあてはめるのが原則。音符の数とフレーズに合う言葉をはめ込んでいくのだが、作業中は埋まったところと埋まらないところがまだら状態で、埋まっていない音符にピッタリはまる言葉を探してジグソーパズルをやっているような感じになる。

 

・多くの場合、元の歌詞で話されているディテールの半分以下しか日本語では再現できない。たとえば「ジーヴス」の “When Love Arrives” の最初のフレーズは “When love arrives it’s hard to tell, He doesn’t ring the front door bell.” (恋が訪れる時はわかりにくい、ドアの呼び鈴を鳴らしてはくれない) 英語は一音節の語彙が多い言語で、なんとこのフレーズで使われている言葉は”arrives”と”doesn’t”を除いてすべて一音節だ。どうりでワンフレーズに多くの言葉を詰め込めるはずである。しかし日本語では一音節で成り立つ言葉はとても少ない。必然的に言える内容は圧倒的に少なくなる。この部分の訳詞は「恋のおとずれは いつも忍び足」とした.

 

・しかしこれは文化的な違いもあり、必ずしも言葉が多いほど良いという事でもない。英語は何か一つのことを言うのにたくさん言葉を尽くしてナンボという言語だが、日本語は違う。短歌や俳句の世界で明らかなように、少ない言葉の内に秘められた思いを伝える省エネ言語、それが日本語なのだ。英語の歌には、純粋に意味を理解するには不要というか余剰なフレーズがたくさん入っている。訳詞をする際には、そういった余剰部分は割り切って捨てていき、その人物が意図を伝えるのに絶対必要なエッセンスだけを残していく。

 

・少ない言葉で多くを伝えるための工夫として、日本語には利点もある。まず主語を入れなくても良い場合が多いこと。主語がなくても誰のことかわかる場合は使わない。そして、困った時の四字熟語。四字熟語は短い言葉で多くを表せる優れものだ。たとえば “self-inflicted” は「自業自得」とすれば英語と同じくらい簡潔で済む。

 

・言葉を選ぶ際に、メロディの高低と日本語の抑揚を合わせられると最も理想的。ただしそううまくいかないことも多い。

 

・原文の意味をそのまま日本語に置き換えようとしても音符の制約などでどうしてもうまくいかない場合は、その歌を歌っている人物の身になって考えてみる。この人はこの状況で何を言うだろうと想像し、その人の目に見えているものを想像する。そうやって、オリジナルには書かれていなくても、きっとこの人なら言うであろうと思われる言葉を探していく。

 

・音楽を大切にしたいので、基本的には「1音符:1音節」が原則。ただしこれを厳密に守っていると日本語では曲のグルーヴ感が失われ、のっぺりしてしまうことがある。なぜなら英語では、音韻学的には1音節の中にも細かく音が混じっていることが多い。たとえば”love”という言葉は1音節だが、発音記号で分けると lu と v から成り立っている。また”maze”という言葉であれば、m と ei (二重母音) と z から成り立っていて、1音節といっても日本語の1音節よりも多くの音韻要素が含まれているのがわかる。こういった細かい音韻要素が、音楽を前に進める役割を果たしている。日本語の1音節の構成要素は基本的に単一子音と単一母音、もしくは単一母音だけだから、なんとなくのっぺり聴こえてしまうのだ。だから私は歌の旋律だけでなくオーケストラがどんなリズムを刻んでいるかを見るようにしている。たとえば歌の旋律が四分音符でも、その下にあるオケが八分音符の場合には、歌詞も四分音符に二つの音節を乗せたりする事もある。

 

・英語の句読点の部分で日本語も文法上の区切りがあるのが一番望ましい。音楽のフレーズと英語のフレーズはマッチするように書かれているから、そこでブレスを取れるように日本語の区切りも合わせるのがベスト。

 

・いい言葉が見つかっても若干字余り・字足らずになってしまうような場合、音符をいじってフレーズのあたまのアウフタクトを加えたり削ったりする事もある。西洋音楽にアウフタクトがあるのは、西洋言語に前置詞があるからだと私は思っている。つまり音楽は言語に沿って書かれているのだ。だからアウフタクトの有無は、場合によっては厳密にキープする必要はないと考える。ただしオペラなどクラシック音楽では軽々しい変更はとてもできないと思う。

 

・英語文化と日本語文化の違いで、英語は具体性を好み、日本語は抽象性を好むということがある。例えば以前訳詞をした Songs for a New Worldというミュージカルで、”But then the earthquake hits, then the bank closes in” という歌詞がある。「そこに地震が起きて、銀行が破綻して(=自分が財産を失って)」という意味だが、日本語では歌詞に「銀行」のようなプラクティカルな言葉を使うと変なのだ。(半分語りのような歌であればまた話は別だが。)日本で地震という言葉は衝撃が強すぎることもあり、最終的に歌詞は「あらしが来て 全て失くし」としたが、もうちょっといい訳もあると思う。

 

・上記と同様の意味で、英語では何かのイメージを表すのに具体的な地名や人名を挙げるのが一種のスタイルだが、日本語はそうではない。「ジーヴス」の最後の曲 “Banjo Boy” に “Name they shout from Maine to Illinois(メーン州からイリノイ州まで人々が彼の名を叫ぶ)” というフレーズがあるが、これは「広い地域で人気がある」という意味のことを伝えるための言い方だ。英語では具体的な地名を出す方がシャレっ気があるのだ。しかし日本語で「メーン州からイリノイ州まで」と言ったところでよくわからないし、だいいち音符にはまらない。ここは「北から南まで/その名をとどろかせる」とした。

 

 

最終的には、歌の世界観を再現しつつ、歌い手にとって技術的に歌いやすく、かつ気持ちを込めやすく、そしてお客様が知らず知らず口ずさみたくなるような歌詞。それが目標である。言うは易し、とはこのことだ!