「トスカ」を使った演技の授業

 今週は大御所演出家John Copleyによる2度目の演技の授業があった。前回は2時間だったクラスが今週は3時間に拡大されていたので、彼のよもやま話を3時間聞くのかなと思ったら、今回はちゃんと演技をさせられた。

 取り上げたのは「トスカ」の2幕、トスカがスカルピアを殺す直前のシーン。 

 この部分の音楽はゆったりとしたテンポで、セリフのやり取りは少なく間奏が多いが、楽譜には以下のようにト書きが細かく書かれていて、やることがたくさんある。

 

「スカルピアは机のところへ行って、書類を書き始める。尋ねるために手を止めて、トスカに話しかける。」

 

「スカルピアが書いているあいだ、トスカはテーブルの方へ近づいていき、震える手で、スカルピアが彼女のために用意したスペインワインのグラスを取る。しかし、グラスをくちびるへと運ぶあいだに、 テーブルの上に鋭く尖ったナイフがあることに気付く。

トスカはすばやくスカルピアの方を窺い見る。

彼は書くことに集中している。スカルピアの質問に答えながら、ナイフを掠め取ろうと隙をうかがっている。」

 

という具合。(和訳は「オペラ対訳プロジェクト」より借用)

 

 歌手は心理状況を明確に表しつつ、音楽のタイミングにアクションを合わせていかなくてはならない。音楽上ではトスカがスカルピアを刺す瞬間ははっきり決まっているので、そこまでに一連の動作を終えておかないと肝心の瞬間に間に合わなくなってしまうのだ。音楽を聴きながらアクションを合わせる訓練である。

 メンバーの中にトスカを暗譜している人はいなかったので、ピアニストが弾きながら歌い、歌手はそれに合わせて演技をした。男女一組でペアになって順番に。

 その日の出席者は男性が4人、女性が3人だったので、私も加わらないといけなかった。というよりも例によって「演出家ならこれは出来ないとだめだ」という、講師の命令であった。なにしろCopley氏は病欠の歌手の代役を務めるのが上手なことで有名で、舞台稽古であらゆるスター歌手と「共演」した話題に事欠かない演出家。実は私はこの「歌手の代役」をやるのが苦手なのだが、「できません」とは言えない。

 始まってみると、誰もトスカをやったことがないこともあり、どのペアもトスカは従順すぎるし、スカルピアは欲情と脅しが足りない。特にこういうスローテンポのところは、動きが音楽のテンポに乗っかって間延びしがち。トスカはこの後すぐにスカルピアを刺し殺すわけだから、緊迫感をその状態まで高めておかないと説得力がなくなってしまう。

 さて自分の番。演技が下手クソなのは承知なので、それはさておき、動きを論理的に組み立てることにした。「基本的にスカルピアに対する嫌悪が強いから、スカルピアに近寄られたら反射的に距離を取る」「スカルピアがきちんと通行証を書いているかを机に確認しに行くときは、近寄りたくないからスピードは遅いが、彼に対して圧力をかける」「そこから逃げてワイングラスを取りに行く時は早足になる」等等。以前イギリスの演劇の先生から習ったラバンというムーヴメントの理論を応用してみた。ラバンは簡単に言うと、ある地点から別の地点に移動する際に「使うスペースの広さ」「かかる時間」「圧力」の3要素を調整することによって動きのバリエーションを出す理論である。

 終わってみると面白いことに、Copley氏は「今のトスカはかなりのディーヴァだね」とコメントした。自分自身はディーヴァっぽくやろうとは露ほども考えていなかったので「は?」という感じだったのだが、まさにこれかもしれない、と思った。場面における人物の思考に沿った動きの要素を工夫するだけで、「ディーヴァっぽくやろう」などとは全く考えることなく人物の性格を表現できたことになる。ラバンは演劇よりもむしろオペラに有効なはずだと思っていたのをちょっと証明できた気がする。

 その後もう一回やらされて、今度はスカルピアを刺し殺すところまで到達。自分の2倍ほどもある体格のバスバリトン君が床にドスンと倒れてくれたところで終了。

 授業の残りの時間は、メンバーが代わる代わる持ち歌を披露してくれた。持ち歌となるとみんな熱もこもって芸達者!