「絹のはしご」音楽稽古

 Jette Parker Young Artists Programmeの10月公演「絹のはしご」の音楽稽古が先週から始まった。本番はロイヤルオペラハウス内のLinbury Studioという小さめの劇場で行われる。

 ロッシーニ初期の小さいオペラなので、キャストは現在プログラムに所属している歌手の中から6人のみ。他のメンバーたちはオペラハウス本公演の方に本役で出たりカヴァーを務めたりしている。

 Young Artists Programmeは歌手以外に演出家と指揮者、コレペティのメンバーもいる。それぞれに難関の選抜をくぐり抜けてきた若い精鋭である。公演の演出、指揮は彼らが務める。こういうところがイギリスは懐が深い。歌手だけでなく演出や指揮やコレペティも若手に場を与える体制がある。もちろん、ベテランの演出家や指揮者に比べて未熟なのは織り込み済みで、歌手と演出家、歌手と指揮者がお互いに学び合う場だという考え方をする。

 未熟だと言ったけれども、現在所属している演出家と指揮者はおそらく30歳にもならないにも関わらず恐ろしく優秀で、知識も企画力も指導力もとても高い。若手に指導されているという感じは全然しない。まったく、どんな経験を積んだらこの若さでこの能力が身に着くのか。絶望的な気分になるほどだ。 

 

 ところで、現在ロイヤルの本舞台では同じくロッシーニの「セヴィリアの理髪師」を上演していて、バルトロ役に世界的なバス・ブッフォのアレッサンドロ・コルベッリが出演している。最近ではMETの「チェネレントラ」にドン・マニフィコ役で出演していた。コルベッリは「絹のはしご」の間抜けな召使い役ジェルマーノも当たり役としている。(私が持っているヴィオッティ指揮・イギリス室内管弦楽団「絹のはしご」CDでもコルベッリがこの役を歌っている。)そのコルベッリがジェルマーノ役を歌う研修生に個人レッスンをするところを見学させてもらった。

 

 その前日に「セヴィリア」のゲネプロを観たばかりだったのだが、正直、演出があまり面白くなかったこともあり、コルベッリが圧倒的だという印象は持っていなかった。しかし。やっぱり間近でレッスンを見ると彼の凄みがよくわかった。

 レチタティーヴォの一部分を研修生が歌った後で、コルベッリが説明するために歌ってみせると、ほんのちょっとしたフレーズも表情が出て、ピチピチ跳ねるようにイキが良くなる。何が違うかというと、それは言葉の扱い。イタリア語に意味を込めて喋ると、それがそのまま音符の表情になる。ロッシーニは特に言葉のアーティキュレーションが大事で、それによっていかに音のカラーが作られるかが手にとるようにわかった。言葉を本当に自分のものにして初めて音符にリズムと色が出るのだ。

 

 「絹のはしご」を指揮する研修生はイタリア人なので、彼の音楽稽古もとても勉強になる。基本的にはイタリア語のレチタティーヴォは頬骨を思い切り上げて「にかっ」とした状態で、顔に音を集めて当てる。口を動かしてもその響きをキープするようにするとイタリア語らしい音になる。

 研修生はイギリス人とオーストラリア人が多く、イタリア語のディクションにはみんな結構苦労している。英語が母語の人にとってイタリア語の発音は日本人以上に大変らしい。「セヴィリア」の指揮者のマーク・エルダー氏がレクチャーで言っていたが、「英語は口の使い方がダラダラしている。イタリア語は舌の動きがものすごく素早い。」イタリア語の発音をマスターするには口をいっぱい動かす練習をひたすら自分でやるしかない。という訳で、今は私も家でひたすら「絹のはしご」のレチタティーヴォを喋る練習をしている。