9月13日
イングリッシュナショナルオペラ(ENO)「オテロ」(新制作)
指揮:Edward Gardner
演出:David Alden
出演:Stuart Skelton, Leah Crocetto, Jonathan Summers他
ENOの今シーズン開幕の日に観劇。
とにかくビックリしたのはオーケストラの素晴らしさ。最初から最後まで緊迫感たっぷりでグイグイ押してくる。ヴェルディ後期の作品らしい、半音階を多用した複雑なハーモニーも中声部が全部聴こえる。指揮者のガードナーは40歳そこそこだが、きっとオケとの関係がうまくいっているに違いない。オケも本当にモチベーションが音に如実に表れるものだと思う。はっきりいってロイヤルオペラハウスではまだオケからこのような演奏を聴いていない。指揮者によって違うと思うが…。
オテロ役は新国立劇場「ピーター・グライムス」でタイトルロールを歌ったオーストラリア人のスチュアート・スケルトン。オテロは初役らしいがとても良かった。
演出は、設定を20世紀初頭の中東のどこかにしているらしいものの基本的にオーソドックス。装置は廃墟をグレー系で抽象的に表したシンプルなもので、ドラマに集中しやすかった。特徴的だったのは照明と影の使い方。フットライトを巧みに使って、壁に映るイアーゴーの影を巨大に、オテロの影を小さく投影させ、オテロを食い尽くすイアーゴーという関係性を象徴的に示していた。またエミリアとデズデモーナのシーンはエミリアの影が大きく、デズデモーナの影が小さくなっていて、ここは「母と娘」という関係に見せることを狙っていたと思う。
ENOは現在もすべて英語上演。前にENOを観たのはもう20年以上前だったのだが、その時は字幕がなくて、英語の歌詞はかえってとても聞き取りにくかった。今は英語で歌いつつ、さらに字幕が入っているから助かる。でもそれならもう原語で上演すればいいのでは?
9月17日
ロイヤルオペラハウス「リゴレット」
指揮:Maurizio Benini
演出:David McVicar
出演:Saimir Pirgu, Dimitri Platanias, Eri Nakamura他
2001年以来レパートリーになっているマクヴィカーによるプロダクションの再演。
この日の主役は何と言ってもジルダ役の中村恵理さん。ロイヤルオペラハウスでのジルダデビューとは信じられない素晴らしいパフォーマンス。しかもこの日はイギリス各地の公共の場所で公演が大画面で同時中継されるBig Screen Dayだったのだが、そんなプレッシャーも全く感じさせず、カーテンコールでも大喝采を受けていた。この劇場で日本人が主役を歌うのは、スポーツならテニスの錦織に匹敵する活躍だと思う。
ジルダは前半に歌う繊細なCaro nomeの印象が強いけれども、実は後半のアンサンブルでオケがガンガン鳴っている部分などはかなり強い声が必要とされる。この部分はジルダがかき消されてしまうことが多いのだが、中村さんは前半は声をきっちりコントロールしてセーブし、後半の大音量のところでしっかり声が通って響いてくる。そのあたりの計算が素晴らしいとYoung Artistsの所長は言っていた。
ちなみに中村さんはYoung Artistsの出身。またこの日は他にマッダレーナ、チェプラーノ伯爵、チェプラーノ夫人、モンテローネ伯爵、ボルサがYoung Artists出身もしくは現役で、Young Artistsが大活躍の公演だった。
全体的には、さすがに初演から十数年経っているせいか合唱などの演技がルーティーンになってしまっている印象。ソリストの演技もいまいち緊迫感に欠ける。ROHは大きなオペラハウスにしては再演でもわりとしっかり時間をかけて稽古する方だと思うが(稽古場で2週間、舞台に入ってから1週間程度。再演演出は基本的に初演に助手や振付家として関わっていた人が担当する。)それでも繰り返し上演し続けると初演時のエネルギーを注入し続けるのは難しいのかなと思う。
演出は1幕冒頭のシーンをマントヴァ主催の大乱交パーティにすることで色事に狂ったマントヴァの傍若無人ぶりを表現している。私は何年か前にこのプロダクションをDVDで観たのだが、マントヴァ役のマルセロ・アルヴァレスの血走ったような目が色狂らしくてとても良かったのを覚えている。それに比べると今回のマントヴァはほとんど突っ立っているだけの木偶の坊で、残念・・・。
9月16日
ロイヤルオペラハウス「セヴィリアの理髪師」(ゲネプロ)
指揮:Mark Elder
演出:Moshe Leiser, Patrice Courier
出演:Serena Malfi, Michele Angelini, Lucas Meachem, Alessandro Corbelli他
プロセニアムの内側に大きくシンプルな水色のボックスが設置されていて、その中で全てのアクションが行われる。場面ごとに窓が飛び出てきたり、ドアが開いたり、床からイスが迫り上がってきたり、というビックリ箱のような仕掛けになっている。「セヴィリア」をひとつのおもちゃ箱の中で起きるストーリーのように見せている。1幕フィナーレではその箱が歌手を乗せたまま宙に浮き上がり、フワフワと上下左右に揺れる仕掛けもある(実際にはセリと油圧のシステムで下から押し上げているものと思う。)
見た目には楽しいけれども、肝心の人間同士のドラマの描き方がゆるいので私はあまり面白くなかった。例えば2幕で、ロジーナとコンテが歌のレッスンをするフリをして逢い引きの約束をしている最中に、フィガロがバルトロの気をそらすためにバルトロのヒゲを剃るシーンがあるが、この場面でバルトロが座るイスを思い切りチェンバロのほうに向けてしまっているため、ロジーナとコンテの様子が丸見えになってしまう。全体的にブロッキングのキメ方がゆるい。コメディは「今、この瞬間に誰に対して何を見せたいのか、隠したいのか、聞かれたいのか、秘密にしたいのか」といった細部を精密に積み重ねていかないと面白くない。
オケの演奏も、理路整然としすぎていて推進力が感じられず。マーク・エルダー氏はレクチャーで「ロッシーニはリズムとエネルギーが大事」と言っていた割に、実践はそうなっていない気が…。
今シーズンはこれから、ヴェルディ「二人のフォスカリ」(ドミンゴが父親役としては初役)、「イドメネオ」新制作などが控えていて楽しみ。
でもやっぱりROHはキャストの豪華さを含めてどちらかというと万人向けの王道を行く分、エッジに欠け、新しい芸術を生む気概の面ではENOに一歩譲っている気がする。まだ観た本数が少ないから判断するには早いけど。
ところで、ROHは基本的にプロンプターボックスを設置しない。ワーグナー作品でさえ使わないそうだ。ただし例外はアンジェラ・ゲオルギューが出演する時で、彼女だけはプロンプが入るのだとか。ゲオルギューは扱いにくいディーヴァで、演技も自分を素敵に見せることにしか興味がなくて酷いという話をここの劇場で何度も耳にしているので、あながち冗談でもないかも。