(ロッシーニ「絹のはしご」)が終了しました。ロイヤルオペラハウス内の小さめの劇場で10月23・24日の2日間、3公演。Young Artistsの公演は注目が高いようで、チケットは3公演とも早々に完売していました。ここの歌手達は将来的に世界中で活躍していくのがよく知られているからでしょうか。事実、稽古期間中にもキャストの中で今シーズン中にここの本舞台に大役で出演することが決まったり、ハンブルク国立歌劇場に専属契約が決定したりする人がいました。
今回の演出は時代をオリジナル通り19世紀初頭に設定し、衣装・セットはピリオド仕様(最近ヨーロッパのオペラは現代の設定が主流になっているので、珍しいくらいかもしれません)。その代わりに演出家のこだわりで一つ一つの台詞のサブテキスト(裏の意味)を追求して細かいニュアンスを出し、質の高い舞台だったと思います。まだ若い演出家の総合的な能力の高さには脱帽しています。
この公演もロンドンでやっている他のオペラや演劇と同じようにメディアに批評記事が載ります。ガーディアン、インディペンデントなどけっこうメジャーな新聞に載りましたが、演出、演奏ともに総じてここ数年で一番評価が高かったようです。
セットは今回の公演のために新しく作られたものですが、衣装はROHのストックから若手のデザイナーが選んで組み合わせたもの。(このへんは新国立劇場の研修所公演と似ています。)「薔薇の騎士」のマルシャリンやオックスの衣装を借用してアレンジを加えていました。ROHのストックはさすがに豪華で幅広く、デザイナーも選ぶのが楽しそうでした。
今回ひとつの公演に最初から最後まで参加して、キャストに関して感じた一番大きなことは、立ちを一通り覚えて役の人物像を掴んだ後、その役を自分のものにして膨らませる力がおしなべて高いということです。ただ書かれていることをなぞるのではなく、レチタティーヴォを芝居の台詞のようにイキイキと喋ったり、歌をその人物として歌ったり、また舞台上の動き方も、単に決められたある地点から別の地点に移動するのではなく、思考を伴う勢いを持って動く。稽古の中でそういう自由な段階に達して、さらに自分で役柄を発展させるのが早いのです。今回のキャストでイタリア語が実際にしゃべれる人は一人だけだったので、言葉のハンディは日本人と同じはずなのに、自由度が違う。しかも舞台経験がかならずしも豊富な歌手ばかりではないのに。この違いはいったいどこから来るのか?
西洋言語と西洋文化を共有する人たちは、国は違ってもある程度同じ基盤に立っているというのは、オペラ作品に取り組むにあたり、やはり主要なファクターではあると思います。しかし「文化の違いだからしょうがないよね」では何の役にも立たないわけで、演出家としては日本人の思考や行動と何がどう違うのかを細かく分析して舞台に活用できなければならない。それこそが私がこちらに研究をしに来た目的でもあります。たとえば物に対する態度。ジョークの言い方。そういった日常の細かい行動様式について、何がどう違うのか考えたりしています。今後2ヶ月間、また別の現場も見学しながらゆっくり考えたいと思っています。
そういえば、ゲネにドミンゴ様が来て、キャストに助言したりしていました。なんか似てる人が喋ってるけど違うよね~、と思ったら本物でした。ドミンゴは若手のコンクールを主宰したりもしているので、若手の育成にも興味があるようです。