現在ROHではローラン・ペリー演出「愛の妙薬」が上演中。開幕前の週に毎日舞台稽古を見学していた。ドゥルカマーラ役のブリン・ターフェルはイメージどおりの気さくな人で、稽古中によくジョークを言って周りをリラックスさせていた。イギリス人はこういう態度で仕事場に臨む人が多い気がする。一方イタリア人はけっこうシリアスで、ジョークよりは注文や文句を言っていることが多い印象。
ドゥルカマーラの登場シーンで彼が誰かの家にドアをノックして入ろうとする場面がある。そのドアはトイレのドアという設定らしく、彼が「クサーい」というジェスチャーをする演技がついていた。ターフェルがそこで何か注文をつけはじめた。「これだけじゃこのドアがトイレってお客さんには分からないんじゃないかな…」 気さくといっても彼はやはりビッグネームなので、何を言うのだろうとみんな一瞬緊張する。「…だからドアの中からトイレットペーパーが飛んで来て僕の頭に命中するっていうのはどう?」おお、ほんとに気さくだ。この案はすぐ採用されていた。
ネモリーノ役のヴィットリオ・グリゴーロが喉の調子がずっと悪かったため、舞台稽古が始まってからはほとんど毎日、グリゴーロは無言芝居をして、カヴァーを務めているヤング・アーティストのテノールが舞台脇で代わりに歌っていた。すぐにも代役で入れる状態で、楽譜も離している。こうやってヤング・アーティストは関係者全員に自分の歌を聴いてもらえる訳だから、本人にとってはすごいチャンスだ。
ちなみにこのプロダクションでは他にベルコーレのカヴァーをヤング・アーティストが務めているほか、ジャンネッタの本役もヤング・アーティストで、彼女は同時にアディーナのカヴァーも務めている。
先週、ベルコーレ役のカヴァーをしているヤング・アーティストの個人演技レッスンを見学した。コーチはROHで30年、再演演出や演出助手をしつつ、外部でも演出家として活躍しているダン・ドゥーナー氏。「愛の妙薬」の再演演出も担当している。
ベルカントオペラの歌い方全体について、印象に残った話。
・ ベルカントオペラで大事なのは声だと思われているが、実はテキストが大事。コロラトゥーラのスペシャリストは、実は「歌う」よりも「しゃべる」。自分がこれまで一緒に仕事をした中では、グルベローヴァがまさにそうだった。ベルカント発声をしつつ、しゃべりにしている。テキストの裏の意味を込めるのがうまい。つまりは思考をもって歌うことが大事。
・ 思考というのはブレスを取る前に来る。だから歌いだす前に次の思考を持っておくこと。
・ ブリン・ターフェルが歌っているのを見ると、彼の頭の中に3つくらいの思考が同時に起こっいるのが読める。それに比べてアンジェラ・ゲオルギューなんか、何もなくて能面のよう。(この劇場ではアンジェラ・ゲオルギューは本当に評判が悪い。誰の話をきいても悪評とジョークしか出てこない)
・ ルバートする時は、テキストの意味から取ってルバートすること。たとえば
“alla piu bella”という歌詞だったら、alla でルバートするのは変。piuかbellaに来るべき。
・ベルカントは歌詞の繰り返しが多いので退屈になる危険が常にある。毎回お客を驚かせないといけない。コツは、休符のたびに新しい思考に切り替えて、色を変えること。
ここでもやはり、空虚にきれいな声だけ響かせているだけの瞬間をひとつも許さない作り手の姿勢が徹底しているなあと思う。