今週はロイヤルオペラハウス本舞台で上演中の「愛の妙薬」アディーナ役のルーシー・クロウが病気で本番をキャンセルしたため、アディーナのカヴァーを務めながらジャンネッタの本役で出演していたヤングアーティスト2年目のキアンドラ・ハワースが急遽代役で主役デビューを飾って「新しいスター誕生」とセンセーションを巻き起こした。そしてジャンネッタのカヴァーはヤングアーティスト1年目のローレン・フェイガンが務めているので、彼女もジャンネッタに繰り上がって本舞台デビューを果たした。
このように、ここのヤングアーティストはいきなり本舞台で主役デビューするチャンスまで与えられている。イギリス式のこの懐の深さと大胆さに感心すると同時に、その役を見事に果たす力を持っているヤングアーティストの歌手たちにも驚嘆するばかり。
さて。私は帰国間近となり、今週は演出家マーティン・ロイド・エヴァンスによる歌手の個人コーチングセッションを見学した。ヤングアーティスツプログラムで参加するレッスンはこれが最後。マーティンは以前紹介したギルドホール音楽院オペラ科の先生で、シーンリサイタルの演出をした人。このプログラムにも時々指導に来ている。
この日は二人のテノールがそれぞれ勉強中の曲を持ってきた。
最初のテノールは「カルメン」からホセの「花の歌」。二人目は「ボエーム」の「冷たい手を」。共通するのは、どちらもあまりに有名かつ叙情的な曲なので、ともすれば美しいメロディを歌うだけになってしまい、中身のないアリア大会に終わってしまいがちなこと。
はたしてマーティンはやはり、単に美しいメロディを歌う事を一瞬たりとも許さず、深く歌詞の中身に入り込んで、歌手から真実味のこもった表現を引き出す指導をした。本当に素晴らしいレッスンだったので、そのまま再現したいと思います。
最初にまずテノールA君が「花の歌」をひととおり歌った。声はとても綺麗なのだけれど、通り一遍で終わっている印象。そこでマーティンが、ホセがこの歌を歌う状況、心理状態、ホセの性格などを確認する作業をする。
M「この曲をホセが歌う時の場所はどこ?」
A「えっと、山の中でしたっけ」
M「ブー。それは3幕。この曲を歌うのはまだ2幕で、リーリャス・パスティアの酒場。密輸業者たちがアジトにしている酒場だ。ところで、ホセはなんで軍隊に入っているのかな」
A「生活のためですかね。あと母親の期待と」
M「それもあるが、それだけじゃない。彼は人殺しをしたんだよ。物語の前段階で。(注:このことは原作の小説にしかはっきりとは書かれていない。)彼は殺人犯なんだ。殺人犯が働けるところっていうと修道院か軍隊しかなかった。ホセはカッとしやすい性質なんだ。情熱的ですぐ逆上する。だから軍隊くらいしか居場所がない。ホセとカルメンは似たタイプと言えるね」
A「なるほど。」
M「このシーンの前、ホセはどこにいた?」
A「牢屋でしたね」
M「そう。彼はカルメンを逃がすために細工をして、それで牢屋に入れられた。で、解放されたらすぐ酒場に来た。今日こそカルメンと寝られると思っている。だからセクシュアルなエネルギーが充満してるんだ」
「カルメンは熱くなったりすぐ冷めたり、変わりやすい女だ。ホセは自分が何をされているのかよくわからない。だから必死なはずだ」
「この歌を歌う直前、帰営のラッパが鳴って、ホセがもう行かなきゃいけないと言う。それでカルメンがホセを思い切りコケにしてバカにする。『あらまあ、ラッパが鳴ったから帰るの、坊や!』てな感じで。侮辱されて、ホセはブチ切れる。『いい加減にしろ!!』もしかしたら彼女を引っ叩いたかもしれない。それでハっとして『しまった』と。必死に落ち着こうとしている。感情的にかなり張りつめた状況だ。」
「こういう要素を全部入れて歌わないといけない。じゃあもう一度頭から歌ってみて」
彼は頭から歌いだしたが、まだマーティンの言うほどに張りつめた状態には至らない。
M「良くなった。でもホセはもっと必死なはずだね。激怒した状態から何とか自分を落ち着かせようとしている」 「歌詞に『しおれて乾いた花』ってあるけど、なんでこんなことを言うのかな」
A「カルメンから投げつけられた花を、しおれても手放せないくらいに忘れられなかったっていう事じゃないですか」
M「そうだね。ホセは牢屋で毎晩、右手をトモダチに彼女のことを考えてたはずだ。こんなしおれた花で毎晩ヌケるくらいに彼女のことを想ってたわけだ。そういう裏の意味を込めて、その場で言葉を選びながら言うように歌わないと」「歌詞をみてごらん、ブツ切れだろう。言葉に詰まるくらいに感情が高ぶっているんだ」
「君はフレーズの終わりを綺麗に終わらせようとする傾向があるね。フレーズ最後ギリギリまでテンションをキープして、荒々しく切らないといけない」
ここでマーティン自身がカルメン役となり、彼に再度あたまから歌わせた。
歌の途中でマーティンはそこから立ち去ろうとスタスタ歩き出す。歌い手はそこからあまり動かずに、物理的にではなくマーティンを歌の表現で止めなくてはいけないというエクササイズ。
これをやると彼の歌にかなり方向性と目的が出て来て、必死さが見えてきた。
M「だいぶ良くなってきた。でもダイナミクスをもうちょっとやったほうがいい。p や pp は思い切り音量を下げること。p では音量を下げながら、言葉の緊迫感を高めること。ホセは欲望、傷心、怒り、すべてを必死に抑えようとしながら歌っているんだ。『前回俺がこういう状態になった時は、人を殺したんだぞ!だから気をつけろ』ということだ」
「今歌いだす時、息の吸い方が伴ってなかったよ。人間って相手が息を吸うのを見ただけで何を言おうとしてるか察しがつくものなんだ。まず思考があって、息を吸って、それから何かを喋りだす。思考と呼吸が伴わずに歌いだしてはいけない」
ここで1時間のレッスンが終了。
次のテノールB君は「冷たい手を」。
M「なんでこの曲を持って来たの?」
B「この曲すごく難しいんです。あらゆるやり方を試してみました。ミミに向かって歌うのはもちろん、ミミがそこにいないって考えたり、いろんなやり方を試すけど、どうしても実感がこもらないんです」
断っておくと、B君はヤングアーティストの中でも周囲の期待の高い、素晴らしい声と表現力の持ち主で、放っておいても豊かな演技ができるタイプである。ただ本人いわくロドルフォとして伴うべき感情などがどうしても湧かず、嘘の表現になってしまうのが悩みとのことだった。
最初に彼が一通り歌った。とてもナチュラルだし、テキストの意味は全部伝わってくるし、ぱっと見は何が問題なのかわからないくらいうまく歌えている。
M「僕の助けなんかいらないじゃない(笑)」
B「いや、ダメです。頭の中は空っぽで歌ってます」
彼は自己チェックが厳しい人だ。
再び、ロドルフォとは何者か?という確認作業から。
M「ロドルフォはどういう人かな。歳は?」
B「若いですよね」
M「22くらいかな。恋愛経験は?」
B「あんまりないかな。特に真剣な恋は」
M「そうだね。適当な相手はいたとしてもね。生まれ育ちは?」
B「生まれ育ち・・・」
M「教育は? 受けてるよね。他の友達は?」
B「ショナールは音楽家で・・・」
M「そう。ショナールは音楽家、コッリーネは哲学者、マルチェッロは画家。みんな教育を受けている。この意味わかる?」
B「そうか・・・」
M「そう、つまり、彼らは自称ボヘミアンだけど、生まれはいいし教養が高くて、あくまでライフスタイルとしてこういう生活を選択しているんだ。精神の向上のために。きっとみんな両親はちゃんとお金があって、いざとなれば助けてもらえる。一方、ミミは本当に貧乏だ。教養もない。刺繍をしてるっていうのは婉曲表現で、実際は他人の服を直すのが仕事。つまり彼らの恋は、『ライフスタイルとしての貧困vs本物の貧困』というわけだ。ところでミミはどうしてロドルフォを訪ねて来るのかな。ロウソクが消えたから?」
B「いや、それは言い訳でしょう」
M「そうだね。彼らは同じアパートに住んでいて、きっとミミは、若いエネルギー溢れる男性たちが楽しそうにバカ騒ぎしてるのを眺めて、羨ましかったんだろう。ちょっとでいいから私も混ぜてちょうだい、って。しかも彼女は病気だ。死ぬかもしれないって自分で分かってるはずだ。ロウソクが消えるっていうのは消えかかっている命の象徴でもあるよね。お願い、死ぬ前に少しでいいから人生の喜びを味わわせて、私を愛して、ってすがるような思いで来るんだ」
このような話をした後で、マーティンはB君に再度あたまから歌うように指示した。
前奏のト書きに「二人の手が出会う」というのがあって ”Che gelida manina 何て冷たい手なんだ…”と歌いだす。その歌いだしがうまくいかず、ストップがかかる。
M「僕は、『二人の手が出会う』っていうのはたまたま手がぶつかるわけじゃないと思う。お互いすでに見つめ合っていて、彼が彼女の手を握ったら、ビックリするほど冷たかった。『君・・・病気じゃないか!守ってあげないと!』っていうことだと思う。歌う前のスフォルツァンドは彼の驚きを表してるんじゃないかな。だからぼんやりとロマンチックなスタートじゃなくて、純粋な心配の気持ちから歌が始まる」
ここでマーティンは、私にミミ役になってイスに座るように指示。「彼女を相手に歌って。ジュンはきっと必要な反応をしてくれるだろう」(そんなことを言われるとプレッシャーなんですが 汗) B君はもう一度最初から歌う。
M「ストップ。まだロマンチックすぎるよ」
ここでピアノを弾いているデイヴィッド(ヤングアーティスツプログラムの所長)からも指導が入る。「楽譜に書かれている通りにシンプルに歌ってみて。君はいわゆる音楽的に歌いすぎてる。楽譜をよく見てみて、伴奏もリズムも超シンプルだよ」
B「そうですよね、ついイメージで歌っちゃうんですよね」
もう一度最初から。最初のフレーズはずいぶんシンプルな表現になった。
その次のフレーズ “Cercar che giova? 探して何になる?” でまたストップ。”Cercar”のあたまでいきなり音が高く飛ぶので、そこで音が高くなる理由を見つけなければ不自然なことをB君が感じ取ったのだ。
M「これは急に照れて、手を握ってしまった気まずさをごまかしてるんじゃないかな。手を離して、『ほら、鍵探そうとしてもムダだしさ、(窓から見える月を指して)暗いし、ねっ』みたいな感じ」
「この歌はあまりに有名だから、つい朗々とアリアを歌ってしまう人が多いけど、そうじゃない。ほとんど初対面の男女がいきなりこんな状況になったらどうなるか。すごく気まずいだろう。ロドルフォだって自分の気持ちを告白して相手に笑い飛ばされないとも限らないから、超ドキドキなはずだ。一歩一歩進めないと」
「次の“Chi son, chi son 僕が誰なのか” も大げさなほど音が高い。これも照れ隠しだ」
その先 “Vuole? 聞きたい?” でまたストップ。「相手が話を聞きたいかどうかをちゃんと確認せずに次に行っちゃダメだよ。承認を貰ってからね」(いいタイミングで反応してあげなきゃ 汗)
次の “Chi son? Sono un poeta 僕が誰か? 僕は詩人” 「ここもずっと照れてる。『えーっと、そうだなあー、僕はー、』って感じ。”E come vivo? Vivo どうやって生活してるかって? なんとか生活してる!“ ここも同じ」
「だいたい女の子を口説く時に、いきなり長々と自分の芸術の話なんかしないだろ。そんなことしたらキモがられて逃げられちゃう。我々もそうだけど、芸術家って、仕事中はともかく普段の会話で芸術の話を大真面目にしたりはしないだろう。そんなの恥ずかしい。だから芸術の話をする時は、わざと素っ気なく言うんだ。それか、わざと大げさに茶化して言う。”l’anima ho milionaria 心は百万長者“ もそう。両手広げて『心は百万長者なんだぞおーーー、家はこんなだけど!』って感じ」
ここまで進んだところで時間切れ。
レッスン中、B君は何度も何度も自分で歌を止めては「いや、違う」「違う」と自分で修正していた。あとでマーティンと話をしたら、「彼は凄い、自分の中に真実計みたいなものがあって、自分の感触が真実か嘘くさいかを見極める力がすごいんだ」と言っていた。
そんな彼でさえ、この曲はメロディも伴奏も美しいので、ついそちらに引っ張られて表層的にロマンチックな歌になりかける瞬間が何度もあった。マーティンは「この歌の伴奏は、ロドルフォじゃなくて主にミミの心情なんだよ。だからロドルフォはオケに引っ張られないようにすること」
なるほど…。
これまでに記事にした以外にも研修中に見学・参加した授業などは沢山あるのですが、いずれ時間を見つけてまた書きたいと思います。年明けから少しずつ、これまで考えてきたこととロンドンで蓄えたものを合わせて実践で試していきます。来年はロンドンで作品作りをする機会もありそうです。