魔女とヴァルプルギスの夜

魔女とヴァルプルギスの夜

 3月26日の東京室内歌劇場コンサート「大人の魔法」で紹介する色々な魔女の歌(メンデルスゾーンやリヒャルト・シュトラウスも魔女の歌を書いている)の中に「ヴァルプルギスの夜」という魅力的な曲が2曲ある。アレクシスによる同じ詩にレーヴェとブラームスがそれぞれに曲をつけたもの。幼い子供と母親の対話形式になっていて、「お母さん、夕べはすごい嵐だったね」「坊や、そりゃあ5月1日だもの」と始まり、最後に「お母さん、夕べはお母さんのベッドが空だったよ」「そりゃあお前のお母さんはブロッケン山で夜明かししたんだもの!」と高らかに言い放ち、なんと母親の正体が魔女だったことが明かされるという、マイケル・ジャクソン「スリラー」のミュージックビデオみたいな歌である。

 

  ヴァルプルギスの夜 (Walpurgisnacht) とはドイツでキリスト教布教以前から5月1日の前夜に行われていた春の訪れを祝う祭りで、のちに魔女が集って大宴会を開く晩とも言われるようになり、特にハルツ地方のブロッケン山がもっとも重要な魔女の集会地とされる。ゲーテの「ファウスト」にも描写がある。

 

 魔女といえば真夜中にホウキに乗って空を飛ぶイメージが定着しているが、そもそも魔女とはいったい何で、どこからあのイメージが生まれたのだろうか? 要約すると、ローマ時代以降ヨーロッパがキリスト教文化に収斂されていく過程で、もともと民衆の生活に根付いていた伝承や慣習、社会の辺境にいる女性の存在が「反キリスト教的」だとして弾圧され、邪悪なもののシンボルとして凝縮されていく中で出来上がった心象だということのようである。

  ヨーロッパ=キリスト教=一神教というイメージがあるが、日本人と同じように自然の中の色々な神様に願いをかける感覚は、ヨーロッパの人にも理性を一枚剥がした本能的な部分では、ある。ドイツではキリスト教布教以前は独自のゲルマンの神々が広く信仰されていて、樹や岩、水などに宿る精霊を崇拝するアニミズムも強かった。紀元800年にドイツがキリスト教国になり、それまでの土着の信仰は迫害されていった。

   太古の昔から、4月の最後の日、人々はブロッケン山に登り、神に生け贄を捧げ、冬を追い払ってくれる神々に感謝していた。儀式が終わると宴会となり、踊り歌う。山で捕まえた野生動物を鍋で煮たり、今でいう脱法ハーブのような、気分が高揚する薬草を煎じて飲んだりした。

 しかしこのような儀式はキリスト教会からみると憎むべき悪魔の仕業であり、弾圧の対象だった。やがてブロッケン山にも人目をはばかりながらこそこそと登るようになる。

 一方、中世以前のドイツの町のはずれにはシャーマン的な役割の女性が住み、呪術で災いを退ける儀式を行ったり、薬草を調合して病気を治療したり、薬草の知識を生かして産婆として女性の出産を助けたりしていた。近代医学が発達する前、中世において産婆術は女性が独占する医療術だった。しかし医療や薬はつねに、有益にも有害にもなりうる。死産率の高かった中世では、赤ん坊の死亡は産婆という職業につきものだった。生と死の分野にたずさわる女性はあがめられると同時に忌みの対象だった。また彼女たちが調合する麻酔効果のある膏薬はトランス状態になって空を飛んでいるような錯覚を起こす。女性達が秘かに集まって薬を使って乱交パーティに興じることもあった。そのような女性たちはいつしか、夜中になるとホウキに乗って空を飛ぶ魔女のイメージと重ね合わされるようになった。

 ヴァルプルギスの夜はこうして、古来の春の祭りと魔女伝説、女性性への憧れと恐れが折り重なり、「魔女が集い大狂乱を繰り広げる夜」として民衆の間で語り継がれるようになる。

 

 Hans Baldung Grien による、「魔女のサバト(集会)」(1510年)。去年の秋、大英博物館でちょうど中世の魔女の絵を集めた特別展をやっていて、そこで展示されていた絵。

 

 私が魔女やヴァルプルギスの夜に興味を持つようになったのは、魔女という存在が、キリスト教の一元的な価値観で規定しようとしてもどうしてもはみ出してしまう、女性の根源的な生命のパワーを象徴しているように思えるからだ。それは反社会的であり、秩序をかき乱し価値観をひっくり返す危険を帯びている。

 

 18世紀後半から19世紀にかけてドイツの民族意識が高まる中で、ゲルマン古来の伝承に目を向ける作家が増えた。ドイツ各地に伝わる民話をまとめてグリム童話を出版したグリム兄弟もそうだし、ゲーテ、ハイネも好んでこの分野の作品を書いた。そして、こういった優れた詩にインスピレーションを受けた楽曲も数多く生まれた。(この流れがのちにワーグナーの楽劇に繋がっていった。)

 

 説明が長くなりましたが、今回のコンサートはこのような歌曲の数々を紹介する試みです。

 

 実はヴァルプルギスの夜の祭りは現代でも毎年ハルツ地方で行われている。魔女狩りの時代から途絶えていたが、19世紀終わりになって再開されるようになったとのこと。地元の人々が魔女の仮装をして楽しむお祭り、これは是非とも見てみたい! というわけで私は去年4月ハルツ地方を訪れ、このヴァルプルギスの祭りに実際に行ってきました。

 その様子は次回。

  

参考文献

上山安敏「魔女とキリスト教」 講談社学術文庫 1998年

西村祐子「グリム童話の魔女たち」 洋泉社 1999年