サルドゥ作「ラ・トスカ」2

 前回書いたようにサルドゥ作の戯曲「ラ・トスカ」第1幕にはカヴァラドッシと脱獄犯アンジェロッティがお互いに身の上を長々と語り合うシーンがある。オペラでは彼らは旧知の仲だが、原作では言葉を交わすのはこれが初めてということになっていて、初対面である二人に自己紹介をさせることによって観客にここまでの成り行きを知らせるという原始的な手法をとっている。

 アンジェロッティの背景事情もいろいろと細かい。でもこれが、のちのちスカルピアの事情とも絡んでくるので大切な情報である。

 アンジェロッティはナポリの貴族の家系で、共和主義者であり、ローマがフランスに占領された際にローマ共和国の執政官の1人となった。しかしナポリがローマを奪回すると共和主義者は逆に反逆罪の対象になり、アンジェロッティも投獄された。

 彼は若い頃ロンドンで放蕩に明け暮れていて、そこで知り合った娼婦と1週間ほど遊んだことがあった。その後、父親が死んでナポリの土地を相続することになって故郷に戻り、王子に食事に招かれた際、ある女性に引き合わされた。「英国大使ハミルトンとその魅力的な夫人に紹介しましょう。」なんと、昔の遊び相手が英国大使夫人となってアンジェロッティの前に現れたのだった。アンジェロッティははずみでかつての情事をその場の人間に知らせてしまい、ハミルトン夫人を侮辱して怒らせてしまった。その後ハミルトン夫人はナポリの女支配者とも言える地位にまで上り詰め、王室の意見を左右するまでになった。アンジェロッティの命が危ないのは、ハミルトン夫人が復讐に燃えているせいもあるのだ。

 

 さて、原作とオペラを比較すると、プッチーニのドラマティストとしての優秀さはオペラの冒頭から明らかである。

 原作はまず、教会の堂守とカヴァラドッシの若い従者(おそらくまだ子供)との会話から始まる。堂守がカヴァラドッシを「フランス風を吹かせるジャコバン派だ」と言って彼の悪口をさんざん並べ立てる。そこにカヴァラドッシ本人が現れて会話を交わすと、堂守と従者は去る。カヴァラドッシが1人残って絵を描こうとしたところに、礼拝堂に隠れていたアンジェロッティが現れて、ここから二人の長い自己紹介となる。それが終わる頃にトスカが登場する・・・という風に、物事は単純に順番に進んでいくだけである。

 これに対してオペラのほうは、まず冒頭で、城から逃げてきたアンジェロッティがただならぬ切迫感をもって現れ、礼拝堂に隠れる。つまり、脱獄犯がここに隠れているという大前提をまず作った上で物語が展開するので、観客としてはそれを常に意識しながら残りの話を見ることになり、最初からサスペンス感が高い。またその後も、カヴァラドッシとアンジェロッティが顔を合わせた直後にトスカのマリオを呼ぶ声が聞こえるので、アンジェロッティは再度慌てて隠れ・・・といった具合に、何かが完結しきらないうちに次の事件が起こるため、息もつかせぬ展開になる。

 「トスカ」の上演をみていると、1幕のトスカとカヴァラドッシのラブシーンがただのラブシーンになってしまっている事があるのだけれど、カヴァラドッシは「早くトスカをなだめてここから立ち去らせて、アンジェロッティを逃がさなければ」と焦っているのが前提だというのが大事だと思う。

 次回はスカルピアについて書きます。