サルドゥ作「ラ・トスカ」3

サルドゥ作「ラ・トスカ」3

 スカルピアはあまたのバリトン役の中でも最も魅力的な役のひとつだが、それはプッチーニが戯曲「ラ・トスカ」をオペラ化するにあたって施した編集によるところが大きい。

 スカルピアはナポリからローマに着任したばかりの警視総監である。残忍な圧政者として恐れられているが、サルドゥの原作にはオペラとは違い、彼がどうしてもアンジェロッティを捕らえなければならない事情が書きこまれている。

 原作第2幕に、ファルネーゼ宮での晩餐会の席で、スカルピアがナポリ王女のマリア・カロリーナと会話するシーンがある。王女はスカルピアに対し、アンジェロッティが脱獄したのはスカルピアのローマ着任わずか8日後だったことを叱責し、アンジェロッティを捕らえられなければ彼の首は危ないことをほのめかす。しかも外の広場に民衆が集まっていて、アンジェロッティの死、さらにはスカルピアの首を要求する声が聴こえてくる。

 実在した王妃マリア・カロリーナはオーストリアの女帝マリア・テレジアの10番目の娘であり、フランス革命で絞首刑となったフランス王妃マリー・アントワネットのすぐ上の姉である。当然、革命派は彼女にとって最大の敵であり弾圧の対象だった。

 スカルピアが恐れる人間はもう1人いる。娼婦まがいの身分の時代にアンジェロッティと関係を持ち、その後英国大使夫人にのし上がったレディ・ハミルトンである。マリア・カロリーナとの会話の後、スカルピアは独りつぶやく。「アンジェロッティが姿を消したら私の恥辱だ。(略)しかし王妃よりももう1人の女性が怖い。ハミルトン夫人だ。彼女はアンジェロッティを絞首刑にしたがっている。獲物を逃がしでもしたら、彼女は私を絶対に許さないだろう。後ろで実権を握っている彼女が一言でも何か言えば、私はおしまいだ」

 アンジェロッティを捕らえて死刑にできるかどうかにスカルピアの命もかかっている。それだけ彼の状況も切迫している事情は納得がいくけれども、その分原作のスカルピアは等身大の人というか、フツーの男であって、オペラほどには毒気がない。

 オペラではこの背景事情はすっかり省かれ、ナポリ王女も登場しない。彼以上に地位の高い人物はオペラには出て来ない。オペラのスカルピアはひたすら自分の権力誇示と残忍性、そして倒錯的な快楽のために反逆者を追うサディストである。

 オペラでは主な人物たちの背景事情が省かれてしまったため行動の動機が分かりにくいところがあるが、スカルピアに関しては事情が省略されたからこそ彼の狂気的な性格が全面に出て、より面白い悪役になっている。事情が説明される代わりに、彼の強大な自我が音楽でふんだんに表されている。なにしろオペラはいきなり冒頭からスカルピアの主題が盛大に鳴り響いて始まる。作品全体が彼のサディズムに覆われている。そして第1幕の終わりにある、教会でのテ・デウムの合唱をバックにしたアリア。征服欲と性欲、自己顕示欲の入り交じった異様な高揚感。彼はその瞬間、神にさえ対峙する自分に陶酔しきっている。人間味が欠落したこの異常な性格こそが、オペラのスカルピアを極めて魅力的な悪役中の悪役にしている。

 オペラのスカルピアは今で言うサイコパスの特徴にぴったりあてはまる。精神病理学専門家のケヴィン・ダットンによると、サイコパス気質の主な特徴は、極端に非情で冷酷、エゴイスティックで、他人を思いやる感情が欠落しており、精神的に強靭で後悔の念や罪悪感を持つことがなく、結果至上主義である‪。また、サイコパスが多い職業の上位には会社経営者、弁護士などに混じって警察官も含まれているという。

 オペラのスカルピアは、自分の身を救うためのやむを得ない事情からではなく、ひたすら倒錯的な快楽のためにカヴァラドッシを拷問にかけトスカを精神的に追いつめるのであり、また自分が抱こうとしている相手に憎まれれば憎まれるほど興奮するという異常人格者だ。これほど演じ手にとって魅力的な役はそうそうないだろう。彼に関してだけは、原作に書かれている動機を一切無視して演じたほうが面白くなると思う。


2015年7月撮影、サンタンジェロ城

 

1幕の舞台、サンタンドレア・デッレ・ヴァッレ教会