闘うボーマルシェ

闘うボーマルシェ

 台本・演出で参加させていただいたTetsu Taoshita Theater Company「セヴィリアの理髪師の結婚」お陰様で大好評のうちに終わりました。ボーマルシェの戯曲をオペラと比較する形で上演することは、初めて「フィガロの結婚」の戯曲を読んだ時からの夢であり、今回少しでも戯曲の魅力を紹介できた事がとても嬉しいです。

 今回の企画における田尾下さんと私の目標の一つは、純粋に原作や作品そのものの面白さを掘り起こすことにありました。昨今は演出家自身が作品の面白さがよく分かっていないが故にうわべを面白おかしく飾り立てるだけのオペラ公演も少なくありませんが、ボーマルシェの戯曲を原作とするこの二つのオペラにはまだまだ本質を探る余地があります。

 オペラを知らない人とよく知っている人の両方に楽しんでいただけたようで「3時間笑いっぱなしであっという間だった」という声のほか、専門家からも「楽しめて勉強になった」「作品が書かれた当時の時代精神や社会性、批判精神などに触れることができて良かった」という感想をいただきました。

 才能とやる気に溢れたエンターテイナー達が揃い、献身的なスタッフにも恵まれ、関わった全ての人々が並みならぬエネルギーを注いでくれたからこそ実現できた事です。キャスト・スタッフ、ご来場いただいた方々に心よりお礼を申し上げたいです。

 遠くない未来に再演できることを目指していきたいと思います。

 

 さて、今回の稽古に入る前に読み直したこの本、おすすめです。鈴木康司著「闘うフィガロ」(大修館書店)。

ボーマルシェを「闘う男」という側面で捉えた伝記。著者は「フィガロの結婚」新訳を出した人でもあり、そちらの本の解説でもボーマルシェについて色々知ることができますが、この伝記では更にイキイキと彼の人と成りが描かれています。

 鬼才ボーマルシェは単にいろんな才能に恵まれた起業家だった訳ではなく、生涯を通じて彼を突き動かしていたのは、社会の不正に立ち向かう正義感でした。それは必ずしも社会全体のあり方を変えたいというような広い博愛精神から来るものではありませんでしたが、個人として出くわす社会不正には躊躇せず闘うという信念がありました。

 フランス革命以前の、特権階級とそれ以外の差が歴然とあった社会において、ボーマルシェは自分が平民であるが故にこうむる不当な扱いには臆面もなく立ち向かっていきました。彼は著作権という概念を公に唱えた一人なのです。例えば、父親の跡をついで時計職人として出発したばかりの21歳の時、時計の遅れを最小限にする装置を発明したのですが、この発明を、父の知人が自分の発明と称して雑誌に発表してしまうという事件が発生しました。ボーマルシェはこの裏切りに対し、当該雑誌、科学アカデミー事務局などに冷静かつ明快な抗議文を送り、最終手に自分の主張を全面的に認めさせました。

 また遺産相続と借金を巡る訴訟や、劇作家に公正な支払いをせず搾取していたコメディ・フランセーズとの対決、作家の権利を守るための劇作家協会の設立、当局から上演を差し止められた「フィガロの結婚」を上演にこぎつけるまでの闘いなど、彼の闘争に共通するのは、彼がペンの力で社会に正義を訴えていったことです。戯曲に登場する金の亡者バジリオやエセ判事ブリドワゾン(クルツィオ)の皮肉たっぷりな描き方も、その一環と言えるでしょう。

 しかしボーマルシェは頭でっかちのカタブツではなく、明るく社交的で、生涯恋愛にも事欠かない魅力的な「イイ男」でした。あらゆる苦境を知恵と機転とユーモアで切り抜けるしたたかさがありました。「フィガロはまさにボーマルシェそのものだ」と、「フィガロの結婚」を読んだ彼の知人が語ったとされています。

 オペラにおいてフィガロのキャラクターを造形する時、私はヒントを大いにボーマルシェの人物像から得ています。