ばらの騎士(1)

ばらの騎士(1)

 

 二期会「ばらの騎士」に演出助手で参加するため現在準備を進めています。グラインドボーンで2014年に初演され、来年も再演が予定されている現役のプロダクションで、演出はリチャード・ジョーンズ。

 随所にこだわりがある綿密で素晴らしい演出ですが、何しろステージングも衣裳も合唱・助演の配役なども細かく、スタッフ側としては資料を読み解くだけでも大変な苦労。さらにオペラ台本としては最高級のホフマンスタールの豊穣なドイツ語に私のドイツ語力では全く太刀打ちできず、勉強に格闘しているところです。

 

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 「ばらの騎士」の登場人物はどれも魅力的だが、特にオックスはドイツオペラのバスでは最高峰のひとつと言われる。もう一つの最高峰はワーグナー「神々の黄昏」のハーゲンで、同じバスといってもキャラクターが全く違うため、だいたいはバス歌手の中でも棲み分けされるようである。

 ここに「元祖・オックス男爵」リヒャルト・マイール(1877-1935)の写真がある。「ばらの騎士」ウィーン初演でオックスを演じたバスである。モーツァルト、ワーグナー、R.シュトラウスを得意としたが、とりわけ当たり役だったのがオックスだった。

 

 このふてぶてしい笑顔と態度。なんとオックスらしいオックスだろう!

 

 リヒャルト・シュトラウスは作曲当初からこの役にマイールを念頭においていたらしい(但しドレスデン初演には出演していない)。掲載されているENO Opera Guideのキャプションによれば、シュトラウスはある時、マイールに向かって「私は作曲をしながらずっとあなたのことを想像していた」と言った。するとマイールは「それは褒めているのか、けなしているのか?」と訊いたという(笑)。

 

 「元祖・マルシャリン」とも言うべきロッテ・レーマンは自伝「歌の道なかばに」の中で、リヒャルト・マイールの素晴らしさについて情熱的に語っている。シュトラウス自身がこの作品を生み出したばかりの頃のオックスがどんな雰囲気をたたえていたのかが想像できる文章だ。

 

 「オックス男爵。彼のことを書くとき、私の思いはウィーンそしてザルツブルグへと舞い戻り、リヒャルト・マイアの思い出に挨拶を送らずにはいられない。(注:この訳ではリヒャルト・マイアという表記だが、Mayrの発音はおそらくマイールが正しい。)… マイアの男爵は、なによりまず根っからのウィーンっ子であった。気楽な行き方という点でウィーンっ子であり、同時に貴族であった。彼は粗雑で、洗練されない野暮貴族だった。その演技はいつも『上流階級』の人間くささを感じさせた。元帥夫人の部屋へ押し入るときも、無知な野人らしい放縦な粗雑さだけでなく、自分の高貴な身分に帯する誇大な意識…が見られる。リヒャルト・マイアが登場した瞬間に、これらのことが余さず感じ取れた。…彼の役作りに見られる多くの細かい点に、いつもいつも新たな霊感を与えられた。彼のもつ魅力的なおかしみによっても、彼のおどけた個性に由来する抗し難い魅力によっても。彼は粗雑ではあるが暖かみのある価千金のユーモアを通じてオックス男爵を引き立て、この男爵を心楽しい人物に仕立てることができた。オックスを楽しい悪漢に仕立てた。あまりに楽しい人物だるので、本心から立腹することもできないような、吞んべえで半ば背徳的な浪費家に仕立てた。彼ほどのオックスはふたたび出ないであろう。この個性は一回限りの存在で、二度は見いだしえないものだ。…マイアがこの役に与えた比類ない個性が奏でる調べを、私達はふたたび体験することはないであろう。」

 例えばシュヴァルツコップの元帥夫人などを見ると感じることだが、ヨーロッパの歌手でも時代をさかのぼるほどに本物の品がある(勿論、演技がうまい歌手の話)。それは、まだヨーロッパに貴族社会の名残があった頃の雰囲気を歌手自身が見知っていたからではないか。演技の技術に限って言えば現代の歌手の方が確実に上だが、現代の歌手にシュヴァルツコップのような気品を湛えた人はいない。マイールのオックスも、貴族の気品を備えた上での、絶妙な下品さだったのではないかと想像する。

 マイールのオックスは録音では残されていて、YouTubeでも聴くことができる。

https://www.youtube.com/watch?v=7AfSPZUzn_o

 意外に品の良い歌唱である。演技はどんな感じだったのか、映像が残っていたらと願わずにいられない。