リヴァプール国立博物館が公開している、ピリオド衣装の着付けシリーズ。
本日は18世紀上流階級男性の着付け。
(イギリスの服装なので、大陸ヨーロッパとは細部に違いがあるかもしれません)
18世紀、男性の正装はウィッグをつけ、その代わりにヒゲは剃るのが習わしだった。
夜は長いリネンの寝間着を着て寝る。
朝はその上からガウンを着る。これは日中の部屋着としても、シャツとベストの上に着る形で使用した。
ガウンは日本の着物に由来する。*1)
また、寝間着はインドの伝統服の影響を受けていた。
シャツは胸元にタテに開きがあり、フリルがついている。袖はたっぷりとしている。
ストッキングは膝上まであり、半ズボンの上から膝バンドで固定する。
その日によって、ベルトのバックル、カフスボタンなどのアクセサリーを選ぶ。
バックルは銀製で、特別な日に身に付けるものには宝石がついている。
カフスボタンは間にチェーンがついている。
半ズボンはウエストにあるボタンで前を留める。
その上から、下から上に向かって留める布地があり、これが現在の前ジッパーの役割をした。
半ズボンには最低2つポケットがついていた。
膝の横側に並んでいるボタンを留める。
膝バンドは膝下にバックルで留める。
ベストは、その上から着るコートとマッチさせる場合もあれば、あえて違う色を重ねる場合もある。
上のほうのボタンはいくつか開けた状態にして、シャツのフリルを見せるようにする。
薄いリネンのクラヴァット(ネクタイ)を首に着ける。
靴はバックル付き。
「ストック」は折り目付きのリネンで、首の後ろで留める。
ウィッグは最低二つは所有し、一つを着用している間、もう一つは理髪師に預けて整える。
ウィッグにウィッグパウダーをふりかける間、肩にケープをかけ、顔にマスクをして粉を防いだ。
ウィッグパウダーは澱粉を細かくすりおろしたもので、オレンジフラワーやラベンダーの香りがついていた。色はグレイ、茶色、白などいろいろあった。*2)
後ろは黒いリボンで結ぶ。
ベストの上からはコートを着る。紳士の正装は、コート、ベスト、半ズボンの三点から成る。
コートには刺繍が施されていた。
ウエストは細身で、下の方がスカート状に広がる形。前のボタンは留めない。
真後ろにスリットがあり、椅子に腰掛ける際には、下半身の部分は手で後ろに払えるようになっている。
補足。
*1): 18世紀、イギリスと日本は直接の交流はなかったので、ガウンを着る習慣は、オランダを経由した影響と考えられる。
実は、17世紀のオランダ画家フェルメールの絵に、日本から輸入した着物を部屋着として着た人物が描かれているのである。
フェルメール「天文学者」1668年。
フェルメール「地理学者」 1669年。
当時、日本からオランダに輸入された絹の着物は”Japanese rok”と呼ばれ、知的階級の間で高級品として大変重宝された。これを部屋着として使用することが一種のステータスシンボルでもあった。
この風習がやがてヨーロッパ全体に広まったものと思われる。
*2): そもそも、なぜこの時代の男性はウィッグをつけたのか?
実は元々の由来は、伝染病だった。16世紀の終わり頃、ヨーロッパでは梅毒が大流行した。
「シェイクスピアと疫病」の記事にも書いたが、抗生物質のなかった当時は、症状が出るに任せる他はなく、肌にひどい潰瘍ができたり、盲目になったり、痴呆症になったり、毛がごっそり抜けることもあった。
当時は豊かな髪がステータスの象徴であったので、髪が抜けてしまうことは大変な恥であった。それを隠すためにウィッグが登場したのである。
やがてウィッグは、利便性の点からも定着した。髪を頻繁に洗う習慣がなかったので、シラミが湧くのは日常茶飯事だったが、髪を短く切ってウィッグを着用することでシラミを防げたのである。ウィッグは理髪師が熱湯で消毒した。ウィッグパウダーは髪の脂の匂いを消すために使用した。
伝染病がいかに人類の生活や文化に影響を及ぼしてきたか、今この時代だからこそ、ぐっと身近に感じられるというものだ。