カルメン(4)19世紀スペインの密輸業とは

 「カルメン」3幕で描かれる「密輸」とは、スペイン史の史実としてはどういうものだったのか調べてみた。日本語の資料は見つからなかったので、以下はインターネットの英語文献からまとめたもの。

 

 19世紀初頭といえばヨーロッパ各国は対ナポレオン戦争に巻き込まれていた。スペインも例外ではなく、莫大な戦争費用捻出のために、スペインは輸入品に高い関税をかけた。あらゆる物品の値段が上がるとともに物品の不足が起き、その結果、密輸など不法なルートで莫大な利益を得る者が増えたのである。

 19世紀、ジブラルタル半島は世界でも最も活発な密輸のハブだった(「カルメン」原作の密輸の記述にはジブラルタルの地名が出てくる)。

  ジブラルタルは地理的に恵まれた港を持つため、地中海の出入り口として軍事上、海上交通上、戦略的な位置を占めてきた。半島は主に岩山から成り(イギリスではThe Rockと呼ばれる)18世紀からイギリスの占領下にある。

 ジブラルタルを経由する密輸業は、関税を避けて物資を直接輸出入したいイギリス側とスペイン側の商人とをつなぐスペイン側の密輸業者(contrabands)によって行われた。

 ナポレオン戦争後はさらに活発となり、ジブラルタルでの密輸業は親から子へと受け継がれるれっきとしたファミリービジネスにまでなった。19世紀初頭、ジブラルタルだけでなく、湾を渡ったアルヘシラスの街も小さな村から商業都市へと発展した。

 密輸の最も盛んなルートは海上ルートで、ジブラルタルの商人が買い付けた物品は当初、港近くの倉庫にまず保管された。イギリス政府の監視が厳しくなると、船から船へと商品を渡して、スペイン国内の別の海岸に下し、密輸人がそれをロバで運んだ。

 その後物品はロンダという山間の町に運ばれた。ジブラルタルとカディスに近く、また岩山で危険なため、地元の土地勘がある者でなければ通るのが難しい土地だったため便利だったのである。(「カルメン」原作にもロンダの地名が書かれている)スペインのエキゾチックな旅情を楽しみたい旅人はこの道をわざわざ選んだ。(「カルメン」原作者のメリメもそのうちの1人だっただろう。)

 物品はイギリス製の綿製品、タバコ、コーヒー、酒、その他、スペイン側で値段の高いものは何でも密輸された。(「カルメン」原作でも商品はイギリス製の商品と書かれている。)(「風とともに去りぬ」に描かれている米国南部のプランテーションで作られた綿はイギリスに輸出され、綿製品になり、スペインに密輸されていたわけだ)

 

 1842年、チャールズ・ロックウェルというイギリス人が書いたところによると「ジブラルタル経由でスペイン国内に密輸される物品は一日2万ドルを超える。多くはスペイン兵の眼前で、ロバや馬の背中に乗って運ばれる」

 別のイギリス人T.M.Hughesによれば、「アンダルシアの密輸はシステムとして完璧に達しており、社会のあらゆる層が関わっている。ほとんどの自治体がシステムに取り込まれているほか、密輸人の頭は地元社会の有力者である。ひとつの業者が500人以上から成り、政治も左右する」

 政府の監視の厳格化、疫病の流行などによりジブラルタルの密輸活動は増減を繰り返しながらも、その後も19世紀を通じて続いた。 

 カルメン原作では、カルメンとホセが加わっていた密輸の活動は死と隣り合わせである。運搬の途中で騎兵の襲撃に遭い、仲間のレメンダードは腰を撃たれる。致命傷だったため、それをカルメンの夫のガルシア(オペラには登場しないが、エスカミーリョに書き換えられている)が頭を撃ち抜いて殺してしまう。ちなみにガルシアはその後ホセに殺され、ダンカイロも兵士に殺されてしまう。「カルメン」原作で描かれる密輸業は血なまぐさい陰惨な世界なのだ。

 

 

資料:

Joe Valery, “Smuggling in the eighteenth and early nineteenth century” On-line Journal of Research on Irish Maritime History

Neville Chipulina, “1705 – Two Centuries of Smuggling – La Cosa Nostra” The People of Gibraltar