カルメンの稽古の合間を縫って、東京二期会「魔弾の射手」の英語字幕の製作をしている。文化庁助成の規定により、日本語に加えて英語字幕を出す方針だそうである。ずっと以前から、日本の演劇は面白いから英語字幕をつけて日本語話者以外も観客に取り込むようにしたらいいのにと思っていたが、オリンピックも意識してか?最近そういう取り組みが増えてきたようで。英語話者の人も沢山観に来て下さると良いなと思う。
英語の文章をもともとのドイツ語の語順に近いままにするか、現代的な自然な語順にするか迷ったのだが、専門家の学会等ならいざ知らず、こういう公演で英語字幕をつける主旨は「とにかくまず中身にアクセスできること」と思われるので、素早く読めることを重視して、現代的にシンプルにすることにした。
例えば簡単な例では、2幕最初のアガーテとエンヒェンの二重唱で
Ei, dem alten Herrn
Zoll’ ich Achtung gern
の語順を守ったまま英語にすると
Oh, the old gentleman
I respect willingly
(ああ、ご老人を
私は尊敬するわ、喜んで)
となる。原文の古めかしい雰囲気を保てるし、オペラに詳しい人にとってはこのほうが好ましいかもしれない。私も自分自身が勉強する時はこの語順の方が助かる。が、
Oh, I willingly respect
the old gentleman
(ああ、喜んで尊敬するわ
ご老人を)
とするほうが英語はすんなり読める。
これは日本語の字幕を作る時も悩む点。原文が倒置法などで、ある言葉が特に強調されている場合、日本語もそうしたりする。オペラのテキストは音楽と共にあるので語順は気になる。音楽のフレーズの頭に、ある言葉が意識的に置かれているのなら、字幕でもそれを再現したい。でも毎回それをやっていると日本語として読みづらくなってしまうので、バランスが重要かなと思いながら作る。まあこんな細かいことを気にしながら字幕を読むオタクは自分くらいかもしれないが…
ちなみに少し古い時代のイギリス英語の文章は、現代よりも語順の並びがドイツ語と似ていて、ドイツ語を読む時の堅苦しさがある。19世紀初頭のジェーン・オースティンの小説を読むとドイツ語から直訳したのかと思ったりする。やはり元々は同じ系統の言語同士なのだなと思う。
「魔弾の射手」(1821年、ベルリン初演)はよく知られているようにオペラ史において、初の真のドイツオペラと言われる。元々イタリアで生まれたオペラは18世紀まではイタリア物が中心だったが、ドイツ語オペラを書いたモーツァルト、ベートーヴェンによって少しずつ先鞭がつけられ、ウェーバーがついに完全にドイツ人による、真にゲルマン的なオペラを書いた。ジングシュピールであるだけでなく、物語の設定が他の国ではなくドイツの森であり、登場人物は王侯貴族ではなく狩人など市井の人達で、題材がドイツ人が親しんできた自然とその神秘をを扱っていて、オーケストラが単なる歌の伴奏ではなく重厚でシンフォニックに書かれている、というところが特徴的。題材も音楽作りも、ワーグナーが直接ウェーバーから影響を受けたことがよくわかる。ワーグナーによく出て来る男声合唱はまさに魔弾3幕の「狩人の合唱」へのトリビュートだろう。
「森」はヨーロッパでは「社会の辺境」「深層心理」の象徴であり、深く分け入っていって人間が成長するところ。グリム童話にもよく出てくる。ゲルマン文化における、キリスト教布教以前から連綿と続いていた魔女信仰、超自然的なものへの傾倒に私はずっと魅力を感じていて、4年前にはハルツ地方にヴァルプルギスの祭りを見にわざわざ行ったし、魔的な題材を扱ったドイツリートやオペラを取り上げるコンサートも企画したこともある。
「魔弾の射手」は今月同時期に東京二期会と兵庫県立芸術文化センターで上演される。二期会はコンヴィチュニー氏がハンブルクで演出したプロダクションで、ラストのデウス・エクス・マキナ的な終わり方が現代の我々には違和感があるところを、皮肉な枠組みに置き換えている。
兵庫のほうは完全な新制作。こちらもキャストは海外組を含めてご一緒した事のある顔ぶれが多く楽しみ。そういえば2011年に東京室内歌劇場の「ゲノフェーファ」というシューマン唯一のオペラ(これもテーマが魔女、森、魔法)で演出助手をしたのですが、その時の演出家がザミエルで出演するのも興味深い。
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