オペラ演技指導者としてのスタニスラフスキー(2)ラ・ボエーム

 現代演劇の祖スタニスラフスキーがこれほどオペラにも造詣が深く、晩年には自分の演技メソッドをオペラにも応用しようと情熱を注いでいた事は日本ではほとんど知られていないと思う。私もこの本を読みながら、驚かされるばかり。

 Stanislavski on Opera 第4章「ラ・ボエーム」より。(抄訳)

 

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 プッチーニは1924年に亡くなり、彼のオペラ「ラ・ボエーム」はその後すぐスタニスラフスキーの公演リストに加わった。最初の公演は1927年4月12日に行われた。

 この作品が選ばれたのは決して偶然ではなかった。プッチーニは従来のオペラの形式を否定した人で、彼の音楽は台本の意図やテーマの発展と忠実に結びつくよう描かれていた。つまりプッチーニは創造面において、スタニスタフスキーととても近かったのである。

 「プッチーニは我々がやろうとしていることに特に適していると思う」とスタニスラフスキーは言った。「彼は舞台に対するセンスがあった。彼の音楽は言葉と密接に絡んでいて、その組み合わせがタイトに融合している。プッチーニは芯から演劇的な人だったから、彼の曲は特に価値があるのだ」

 スタニスラフスキーは、プッチーニが舞台のアクションのために音楽を書いた人であり、彼の念頭には常にアクションが最大の目的としてあったことを重要視していた。

 「オペラを作曲しているとき、まず音が聴こえてくるのか、それとも舞台を視覚的にイメージするのか? と友人に訊かれて、彼はこう答えた。『見えるんだ、まず、見える!人々、色、俳優のしぐさ。私は舞台の人間だ… もし舞台が目の前に見えない場合は… 書かない。音符1つも書くことができない』

 これこそがプッチーニとスタニスラフスキーを繋ぐクリエイティブ・リンクとも言えるものだった。

 「歌い手は常に、自分の頭の中のビジョンに、自分が歌っている内容が見えていなければならない」

 プッチーニのスタイルは過去の他の作曲家とは全く異なっていたため、スタニスラフスキーと彼の生徒たちは、全く新しい舞台上のアクションのスタイルを身につける必要があった。

 我々はパリのカルチェラタンの、学生や芸術家たちの生活を再現しなければならなかった。また、表現豊かなフランス人を演じつつ、イタリア風に歌わなくてはならなかった(歌詞はロシア語だったが)。「皇帝の花嫁」で16世紀のロシアの先祖を演じた後で、我々は現代のフランス人に変身しなければならなかった。

 そう、本当に現代のフランス人であった。というのもスタニスラフスキーは物語の設定を、1840年代から20世紀初頭に移し替えたからだ。その意図は、作者の意図に背くためではなく、彼らのことをより理解するためだった。

 

 第一幕

 二人の若い友達が— 一人は詩人で、もう一人は画家—  が、パリの屋根を見渡す小さなアパートに住んでいる。屋根には薄く粉雪がかかっており、彼らが住む屋根裏の部屋の大きな窓から眺めることができる。この窓から、自称「未来のセレブリティ」たちの部屋に明かりがこぼれるのだが、一方、冬は冷たいすきま風も容赦なく入ってくる。

 台本にはこのように書かれている。「…テーブル1つ、小さな本棚1つ、小さな戸棚1つ、イスが4脚、イーゼルが1つ、ベッドが1つ、本が散らばっており、絵のポートフォリオ、ロウソク2本。ドア2つのうち1つは正面に、もう1つは下手にある。下手に暖炉がある」

 このト書きを忠実に再現すると、ずいぶん居心地の良い部屋が出来上がってしまう。台本作家は、あからさまな貧乏をそのまま再現する勇気がなかったのである。

 スタニスラフスキーにとっては、暖炉、戸棚、ベッド、本棚は受け入れがたいものだった。これでは、劇の中心にあるアイディアがぼけてしまう。すなわち、この生活は良く言えば「気兼ねない生活」、悪く言えば「身にしみる貧乏」だということだ。そしてむきだしの、居心地の悪い屋上の部屋であっても、賑やかな笑い声やユーモア、そして慈しみに満ちた愛情は存在し得るのである。

 「そこにこそ詩があるんだ」とスタニスラフスキーは、俳優と装置家のV.A.シモフに言った。「舞台上の暖炉というのは陳腐になりすぎる。暖炉は全然必要ない。暖炉に火をつけると、とたんに温かく居心地よくなってしまう。でも現代のパリに設定するんだから、こういう部屋には代わりに鉄のストーヴがいいだろう。暖炉の代わりに脚3本のストーヴにしよう」

 二人のうち一人は、長い箱にブランケットを掛けたものに寝る。もう一人は背もたれのない低いソファに寝る。我々は、捨てられていた、バネがところどころはみ出ている古いソファを見つけてきた。ブランケットはまともでも構わない。部屋にひとつあるテーブルは洒落たもので、華奢で、金縁がついている。逆に場違いで、なぜこんなものがあるのか想像させられる。だが脚の一本が抜けているため、ボロボロの棒が代わりに突っ込まれている。家具はこれだけ。画家の住人が描いたアールヌーヴォー風の絵が壁にかかっている。詩人が書いたものはソファの下に積んである。窓枠に、グラス数個、皿、シンプルなロウソク立てが置いてある。今日はクリスマスイブである。

 二人は作業をしている。脚にブランケットを巻き付けたロドルフォがソファに座って、パリの屋根を眺めている。彼の前にあるテーブルに、何枚か紙が散らばっている。ショールに身をくるんだマルチェッロはパレットを手に、イーゼルのところに立っている。

 ラ・ボエームに序曲はない。オケの最初の音が鳴ると同時に幕が素早く上がる。最初の40小節は非常に速い— アレグロ・ヴィヴァーチェだ—  8分の3拍子で、速いワルツのよう。まず観客がしっかり状況をつかむ時間を与える必要がある。そうすればセリフの第一語から、何を言っているのかがわかる。

 「これは誰の音楽かな」スタニスラフスキーは訊いた。「そしてそれにどう反応する?」

 音楽は、なんらかの緊張感や勢い、興奮を伝えている。フルートと弦の速い上昇形のメロディが繰り返し響き、ファゴットとチェロがそのメロディを震えるように遮る。それによって「うう…寒い!」と言いたくなる衝動が起きる。

 舞台上には二人の人物がいる。もちろん、音楽は二人両方を描写している可能性もある。作業から生まれる衝動や興奮が感じられるが、一方で、震えるような、飛び上がりたくなるような寒さも感じる。俳優はどうやってこれを伝えればいいだろうか? スタニスラフスキーはこのように論理づけた。

 「この音楽は人物の内面や、感情の色合い、つまり内的生活のリズムを示唆してくれる。でも、リズムが躍動的であっても、外面的には必ずしも激しく動く必要はない。人間は、たとえ内側が興奮状態でも、身体は完全にじっとしているという事もあり得る。」

 「観客がより良く状況を把握できるために、最初はどちらかの人物に集中出来るようにしてあげたほうが良い。まずはロドルフォは置いておこう。彼は外面的には落ち着いている。幕の最初の音楽はマルチェッロのほうを向かせよう。彼は落ち着きなく、乱暴に、凍った絵の具をキャンバスに殴りつけている。メロディが何度も何度も繰り返すのはそのためだ。ずっと同じところを描き直しているのだが、なかなかうまくいかない!窓からは冷たい風が吹き付けて来る。足は凍えている。指もカチカチだ。詩人のほうはまだましだ、ソファに座って、脚はブランケットにくるまって、外を眺めながら詩を考えられる。しかしマルチェッロは、絵の具を混ぜないといけないし、その絵の具はカチカチになっているし、指を息であたためないといけない。音楽から感じるリズムでまずそれをやろう。無感動ではだめ。しかも、絵は今日中に仕上げて届けないといけない。そうすればクリスマスパーティのためのお小遣いが手に入る。だからよけいに急がないといけない。それと、南国の海を描いているわけだから、暑い天気、焼けるような太陽— それを、凍えそうな冬のアパートの屋根裏部屋で描いているわけだ。プッチーニは当然、意図して書いている。自分は凍えながら、うだるような暑さを描かせることで、より状況を逼迫させているんだ。」