オペラ演技指導者としてのスタニスラフスキー(1)

オペラ演技指導者としてのスタニスラフスキー(1)

 スタニスラフスキーが晩年、オペラ歌手の育成に力を注いでいたことはあまり知られていない。彼は俳優・演出家としての活動のかたわら、1921年に開設したオペラスタジオで、亡くなるまで若いオペラ歌手を指導していた。当時スタニスラフスキーの元で学んだPavel Rumyantsevという歌手がスタニスラフスキーと共同で執筆した本 ”Stanislavski on Opera” は日本語訳が出版されていないのだが、とても貴重な記録であり、また歌手への彼の演技指導は20世紀初頭としては画期的で、驚くほど現代にも通用する内容なので、何回かに分けてかいつまんで紹介したいと思う。

 

*********************************

 

 1921年、スタニスラフスキーはモスクワで古い貴族の屋敷を提供された。この屋敷は彼の最後の住まいとなっただけでなく、作業工房ともなった。2階の大部屋とその隣の部屋にボリショイ劇場オペラスタジオが開設され、スタニスラフスキーが芸術監督となったのだ。ここではレッスンや稽古が早朝から深夜まで休みなく行われ、真夜中以外、いつもピアノの音が鳴っていた。自分が開発した演技システムをオペラに応用するため、スタニスラフスキーは音楽と歌唱の世界に完全に没頭していたのである。

 彼は空いた時間が出来るたびに稽古場に顔を出した。「邪魔じゃないかな?」大部屋を覗きながら彼はいつも、気を遣って声をかけた。「気にせずに続けて!」

 だが5分もすると、彼は稽古場を自ら仕切って歌手の指導にのめり込んでいた。研修生たちは毎日の決められた授業のほかに、こうやってスタニスラフスキーの直接的な指導を受けることができた。

 スタニスラフスキーはオペラにおいて、役柄として生きる技術と歌の技術を統合するメソッドを開発しようとしていた。そのためには作品の稽古に入る前段階として、様々な即興やエクササイズを通じて基礎を学ぶことが必要だと考えていた。

 当時は演劇の分野でさえも、スタニスラフスキーの演技システムはまだ受容されていたわけではなかった。彼のメソッドが演劇界に浸透するのはまだ何十年も先のことだったのである。

 ましてや当時のオペラ界では「純粋な歌唱」が信奉され、声さえよければ演技力など必要ないという考えが主流だった。そんな時代において、スタニスラフスキーは時代に先駆け、演技者としての歌手を育てようとしていた。

 オペラスタジオの生徒は、ボリショイ劇場からの歌手が数名、あとはモスクワ音楽院の若い生徒たちが大半だった。

 スタジオのメンバー構成について、スタニスラフスキーはこのような意見を持っていた。「力のあるグループを形成するためには、有名歌手は必要ない。トップ歌手は報酬目当てで大劇場に行ってしまうものだ。このスタジオは、才能は平均的でも努力を惜しまない良質の歌手で構成して、しっかりしたアンサンブルを作る。スターになりたいとか有名になりたいという動機で動く人間はいらない」

 「スタジオでは、君たちが音楽院で学ばなかった基礎訓練をする。それを経ないでオペラの舞台に立つことはできない。単に美しい歌を歌うだけではなく、思考やインスピレーションに支えられた歌唱を目標として学んでもらう。そういう歌唱こそが例外なく本物なのだ」

 スタジオの毎日のプログラムは、スタニスラフスキーの演技システム理論に加え、音楽に合わせたエクササイズ、様々な身体のポジションを導入するスケッチ、空間でのムーヴメント、筋肉の解放、アリアと歌曲の歌唱などで構成された。歌手はスタジオの公演に出演できるようになる前に、必ずこれらの準備段階を経なければならなかった。

 スタジオには他に歌唱や演技の教師たちがいた。オルソフォニックと歌唱ディクションを指導するN.M.サフォノフは、言葉の分析力と表現力を引き出し、様々なディクションや歌唱のテクニックを通じて、歌手に歌曲の深い意味を感じさせる技術を持っていた。ヴラディミール・アレクセイエフは素晴らしい音楽家で、オペラ演技におけるリズム感という非常に重要な要素を伝授してくれた。ツィナイーダ・ソコロヴァは役柄の中枢をつかむコツを教えてくれた。スタニスラフスキーの演技システムを教えていたのはN.V.デミドフで、システムの心理面の基礎をよく把握していた。

(続く)

 

 

文献:Constantin Stanislavski and Pavel Rumyantsev, Stanislavski on Opera, Routledge, 1975.