ジルヴェスターの準備で「王様と私」の映画版を見直していた時、アンナの巨大なドレスが気になった。シャム(タイ)にいても、どの場面でも一人空間を占拠している、この場違いなスカートはいったい?
「王様と私」といえば19世紀後半の設定。この時代の価値観とファッションはどんな風だったのか、Costume and Fasion: A Concise Historyで調べてみると、色々面白いことがわかった。19世紀後半のヨーロッパはまさに「ブルジョワ」が席巻した時代だった。
1848年はヨーロッパ各地で市民革命が起こった年だったが、革新派は概ね敗北に終わり、特にイギリスとフランスではブルジョワが勝利して、貿易や商業活動が盛んになった。経済が繁栄すれば、ドレスはよりゴージャスになる。スカートはどんどん広がり、下に履くペチコートの枚数も増えていった。ペチコートの重ね着があまりに不便だということで、1856年に、フープ状ペチコート、もしくは「ケージ(籠)・クリノリン」が登場した。
クリノリンは画期的な発明だった。ペチコートの重ね着をするよりも、これを履けばスカートの中では脚の身動きが自由になる。ただし強い風に煽られると絵のような状態になってしまうことが、当時の風刺画に描かれている。
脚を見せることはご法度だったので、下着にはレース付きの長い麻のパンタロンを履いた。子供の場合はパンタロンがスカートの下に見える方が上品とされた。
一般的にファッションの傾向として、誇張されたスタイルが流行りだすと、際限なく誇張されていくという現象がある。1850年代終わりには、クリノリンで膨らませたスカートは巨大化し、女性が二人並んでドアを通ったり、一つのソファに座ったりすることは不可能なほどになった。女性は今や、豪華客船のように先頭を歩き、パートナーの男性は後ろにちょこちょこ付いて歩くという具合だった。
実際の男女の地位でいうと、19世紀半ばは完全な男性優位社会だった。そのような時代には、男女の服装も性差をできる限り明確にさせようとする。
クリノリンはお尻の大きさを強調させるという意味で、女性の繁殖力の象徴であり、また実際に大家族が尊ばれる時代でもあったので、イギリスの人口は飛躍的に伸びた。
また、クリノリンは女性を「手が届かない存在」として見せる役割もあった。大きなスカートはまるで「私に近づこうとしても、手にキスするのも難しいでしょう」と言っているようだ。だが実際はその真逆で、このスカートは誘惑のツールでもある。クリノリンとスカートは常に揺れ動き、観る者を刺激する。クリノリンは道徳的な服装ではないことは確かだった。また時代としてもそれは「グランド・コケット」の時代であって、道徳の時代ではなかった。
さて、こうして見ると、先進国であるイギリスからアジアの小国にやってきて、王や地元の女性たちに女性の自立を説く教師アンナという存在が、かなり皮肉に思える。彼女の言動は王にカルチャーショックを与え、最後には彼は価値観の喪失が元で死んでしまうほど影響を及ぼす。しかしいくら自立していても、彼女自身も男女の性差をこれでもかと主張するかのようなドレスを身にまとい続けている。タイの伝統衣装より動きづらいドレス。19世紀のイギリス出身の彼女は決して真に解放された女性とは言えなかったということだ。
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