カロリーネ・グルーバー「声楽家のための演出レッスン」

 8月5日、演出家カロリーネ・グルーバーの「声楽家のための演出レッスン」を聴講してきました。小森輝彦さん主催の歌唱発音研究隊(KHK)によるものです。

 

  カロリーネは2011年の二期会「ドン・ジョヴァンニ」で彼女が演出をした際に演出助手を務め、翌年のラインドイツオペラ(デュッセルドルフ)でも同じプロダクションの助手をさせてもらった、私の師匠の一人。ウィーン国立歌劇場でも度々演出するなど活躍している人ですが、モーツァルテウムなどでも長年の演技指導経験があります。

 

 11時から、インタバルを挟んで19時までのマスタークラス形式の講座で、私が聴講できたのは途中の3時間でしたが、勉強になりました。普段考えていることが明確になったという感じです。

講座は一人の歌手(もしくはペア)につき1時間かけるという贅沢なもの。以下は記録として。

 

 

J. シュトラウス「こうもり」よりアデーレのクプレ “Main Herr Marquis”

 

 実際に歌う前に、まずエクササイズとして身体の緊張と弛緩を意識的に使うエクササイズの指導。「まず、身体が大きな氷のブロックの中に閉ざされていると思って。全身が硬くなる。そこから、パーツごとに、氷が溶けていきます。右手が溶けていると思って。でも身体の残りの部分はまだ凍っている。右と左の違いを感じて・・・」 このエクササイズで、全身が溶けるまでに15分はかけたかもしれない。最終的に全身が溶けたら、身体をワルツのリズムに乗せて踊っていく。

 「この曲に限らずだが、オペレッタには全体的にダンスのフィーリングが必要。この曲も、ワルツのフィーリングが歌手の身体に入っている必要がある。練習のために、今日は全部踊りながら歌ってみて」 そこで歌手の方はずっとワルツのリズムに身体を委ねながら歌うことになったが、やってみると、その時その時のフレーズの内容をきちんと歌いながら踊り続けるのはなかなか大変なことがわかる。内容に集中するとつい踊りが止んでしまう。歌の内容をしっかり歌いつつも、身体にリズムが行き届くようになるまでは、相当練習が必要だとわかる。

 この歌はアイゼンシュタインに向かって歌っている歌なので(観客としての合唱はいるが)、相手役を小森さんが務める。「なんとなく空間全体に向けて歌うのではなく、常にアイゼンシュタインにエネルギーを向けて」

 最初の歌詞は“Mein Herr Marquis”(公爵様)だが、「アデーレは相手がアイゼンシュタインであり、公爵でないことはわかっている。だからわざと “Marquis”を立てて言って。その次のフレーズの”ein Mann wie Sie”のSieも立てて」

 「前奏から自分(アデーレ)が何をやるかプランを立てておくこと」

 アイゼンシュタインに直接かけ始める箇所になると「彼に向けて手を伸ばす場合、中途半端ではダメ。その手をどうしたかった?」 「からかおうと思いました」 「からかうなら、そのつもりで具体的に手を使って。なんとなく伸ばしてなんとなく引っ込めるのは良くない」

 全体的に「音楽を味わって」となんども強調されていた。ウィンナワルツ特有のリズムはオーストリア人には、我々日本人にとって盆踊りが自然であるように身体に馴染んでいる。だからネイティブではない人には意識的なトレーニングが必要なのですね。

 

 

モーツァルト「フィガロの結婚」よりコンテッサのアリア “E Susanna non vien – Dove sono”

 

 歌いだす前にまずインプロで、部屋に一人きりでいるコンテッサの状況をやってみるように指示。喋ってもいいし無言でもいい。「公では見せないであろう素の彼女がいるはず」 部屋にはコンテのシャツがあり、それを使っても良い。

 無言のインプロが行われる。

 全体的に、曲そのもののムードとテンポを踏襲したような、悲しみに支配された動き。

 5分ほど経った後、カロリーネが止める。「コンテに対して、悲しみだけでなく怒りの表現があってもいいのでは? 『なんで別の女に行くのよ!』というような」 (コンテッサのように、公に対する顔を無理して作らなければならない人間は、プライベートの場では全く違う顔を見せるはずである) 「しかも彼女は『セヴィリアの理髪師』の、あの溌剌としたロジーナでもあることを忘れないで。今もせいぜい26歳くらいの若い女性」

「最初は椅子に座ってイライラしている状態から始めましょうか」

 「独白はお客に対して語るものではない。喋り方は自分一人の範囲にとどめて」(これはなんども強調していた)

 「立つ時は立つ衝動がはっきり見えたい」

 「手はなるべく自然に」(何度も強調)

 「レチタティーヴォの間に、コンテに対するあらゆる感情を全て味わうこと」

 「シャツに目が止まって、惹きつけられる。でも”quel labbro menzonier”で、彼が嘘をついていたことを思い出し、シャツに対する憎しみが生まれ、触ることを思いとどまる。もっとネガティブな言い方でいい」 「小道具が単なる小道具にならないよう、ストーリーを持たせて」

 

    あと1曲ありますが、また後日・・・

 

 

 ちなみに通訳は小森さん自身が務められていて、さすが歌手で先生、的確でとてもわかりやすい通訳でした。