鴻上尚史の演劇ワークショップ

  8月10〜12日、日本劇団協議会主催「鴻上尚史のオープンワークショップ」に参加した。演技の未経験者でもベテランでも参加できるワークショップで、鴻上尚史氏が直々に毎日8時間x3日間みっちり指導してくれる密度の濃い内容。

 スタッフの道に入る前は、よく色々な演劇ワークショップに参加していた。今は演出や指導が仕事の中心になって自分自身が演じることはなくなっているけれども、時々自分でもやってみないと俳優側の感覚がわからなくなってしまうし、演じる側に親身になれないと感じる。人が見ている前でインプロや場面をやるときの、あの崖っぷちの感覚はスリル満点で、謙虚になれる。なのでこういった誰でも参加できるワークショップは助かる。

 鴻上尚史さんは過去に文化庁の在外研修でロンドンのギルドホール演劇学校で1年間修行をされている。私は若い頃に彼のロンドン修行を綴った本を読み、それに影響を受けてイギリスのRADAの先生たちから演技を学んだ。5年前にロンドン研修をした際にギルドホール音楽学校に行ったのも、あの本を読んだことがずっと残っていたから。(ギルドホールは演劇と音楽はプログラムが完全に分かれているが、学校のカルチャーやクオリティは同じなはずと思って行った。)このワークショップの内容はスタニスラフスキーシステム、ラバン、サブテキスト、発声など、私が基礎として持っていることをおさらいするような内容で、リフレッシュにちょうど良いと思った。

参加者はプロの俳優以外に、中学や高校で演劇の指導をしている先生や、アマチュア劇団に所属している人、大学生、「人前で話す機会が多いのでコミュニケーション向上のために」という弁護士さんや、MCの仕事をしている人など多彩。

 

 3日間は毎日、様々なシアターゲームで体をいっぱい動かしたり、五感を開いたり、発声やスタニスラフスキーシステムについての座学の時間、エチュード、テキストを使っての演技、などなど盛りだくさんで楽しく、あっという間だった。

 鴻上さんはおそらくご自分が演出や演技指導をする中で、イギリスで学んだことを日本語に合った言い方に砕いて変換していると思われ、自分が知っているコンセプトであってもより突っ込んだ表現、視点を得られたことがとても良かった。

 

特に印象に残ったコンセプト。

 

・「横軸と縦軸」という考え方

「横軸」とは、俳優同士の関係。もし観客がいなければ、もしくは観客を意識しなければ、どういう演技になるかということ。観客を考慮せずに横軸に特化したのが平田オリザなどに代表されるいわゆる「静かな演劇」。

「縦軸」とは、俳優と観客の関係。観客にどれくらいわかりやすく見せるか。代表的なのが状況を逐一観客に説明するコメディア・デラルテ。

横軸と縦軸の両立と割合が大事で、それを常に考えて演技をする必要がある。

 

 よく、小さい劇場では小さい演技で済むが、大きい劇場では演技を大きくする必要がある・・・という言い方をするが、これは正確ではなく、小さい劇場では横軸だけの演技で済む、ということであり、大劇場では縦軸を強くする必要がある、ということである。

 具体的には例えば、相手の言うことに対して怒りを感じたとすると、相手を睨んでいるだけなのが横軸の演技で、ちょっと観客の方を向いて怒りの表情を見せるのが縦軸の演技。

 映像の演技と舞台の演技はどう違うか? 映像は小さい演技でいいと言う単純なものではない。画角が狭いか、広いか(クロースアップか、ロングショットか)によって横軸と縦軸を調整する。

 

・ナチュラルな表現と意識的な表現

   ナチュラルな表現とは、体は棒立ちでも、中身(感情、意図)は詰まっている演技。

 意識的な表現とは、形からつける演技。意識的だけに偏ると説得力がない。

 どっちだけやるのも簡単である。

 ナチュラルな表現と意識的な表現が重なる部分が大きいのが、うまい演技である。

 両方を意識してこそ良い演技になるのだが、どちらかが欠けた指導をしてしまっている自覚があった。

 例えば先月、大学のショーケースのあるナンバーで、冒頭に俳優が一人で登場して「ほら、見て」と言う歌詞を歌いながら客席の奥を指差す演出があった。その学生に「登場は歩けばいいんですか、走ってくればいいですか」と聞かれて、「歩くとか走るとかではなく、『あれを見て』と言う気持ちを強く持って」と言ってしまった。でも、気持ち(ナチュラルな表現)も大事だけれども「その時は歩いているのか走っているのか」(意識的な表現)もやはりテクニックとして大事なのである。

 

・表現とクセの区別

 表現とは、たくさんある選択肢から選ぶもの。

 クセとは、単なる習慣。

 

 例えば、ワークショップ中にやったエクササイズで、ペアになって、あるお題で相手の体を使って彫刻を作る(相手に彫刻になってもらう)というのがあった。お題は「喜び」だったので、ついペアの相手にガッツポーズをさせてしまったのだが、「喜びと言えばガッツポーズ」というのは単なるクセに過ぎない。それを指摘されたので、考えた末、ちょうど小泉進次郎と滝川クリステルの結婚記者会見が行われた直後だったので、「結婚相手を微笑ましく見つめる女性」を作ることにした。

 

 

・第一の輪、第二の輪、第三の輪

「第一の輪」とは、意識が自分だけになっている状態。独り言。

「第二の輪」とは、自分と相手がいて、二人の間だけに交流が行われている状態。「あなたと話す言葉」

「第三の輪」とは、目に入る全てを意識している状態。「みんなと話す言葉」。

 二人で話しているのに、周りにアピールして喋っているような場合は第三の輪の状態である。

 

 モノローグやダイアログで、今自分はどの輪で喋っているのかを意識し、輪を移動しながら喋ってみると面白い。

 実生活で人を観察するのに使うのも面白い。

 私が知っている、ある大企業の元重役の方がいる。その人はキャリアの大半を偉い地位で過ごされたので、独り言のように呟くだけでも周りが忖度して、指示として受け取ってくれる状態に慣れてしまっている。「暑いなあ」と言えば、誰かがエアコンの温度を下げてくれる、と言った具合である。しかし、引退した今は、必ずしもその人の癖を周りの人みんながわかっているわけではない。その結果、本人は指示したつもりなのに、周りには指示とは伝わっておらず、手配されるべきことが手配されていない・・・と言ったことが頻繁に起こるようになってしまった。つまりその人は、無意識に第一の輪だけで生活してしまっているということ。意識的に第二、第三の輪を使っていかないとコミュニケーションが成り立たないということである。

 

 他にもものすごく多くのことを学びました。さあこれから、どうやって作品や授業に生かしていくか、模索して行きます。