マイズナー テクニック・ワークショップ(2)

 マイズナーの基本であるレペティション(repetition)エクササイズはこのような感じ。

 ペアで相手と向き合い、どちらかが、まず目に入るものを口にする。

 相手は、言われたことをそのままオウム返しに繰り返す。

 「目」

 「目」

 「目」

 「目」

 「白いシャツ」

 「白いシャツ」

 そのうちに、相手の表情が変わってきて、違うことが言いたくなってくる。

 「笑ってる」

 「笑ってる」

 違うことに気づいてそれを言いたくなるまで、ひたすら繰り返す。

 「ちょっと嫌そう」

 「ちょっと嫌そう」

 相手の言葉だけではなく、自分が感じたことも言う。

 「嫌じゃない」

 「嫌じゃない」 

 

 これは、相手に集中し、自分のあらゆるアクションを相手から得るためのエクササイズである。

 退屈なようだが、相手とのキャッチボールがうまくいっている時は、全く嘘のない状態で、延々と続けることができる。

 演技というと、とかく表現を自分の中から絞り出す努力をしてしまいがちだが、そうではなくて、演技はリアクションである、全ては相手の反応から取るものである。ということを実感することができる。

 

 

 ワークショップは毎日、まずリラクセーションを2, 30分。

 その後、強い感情を呼び覚ます色々なエクササイズ。ある日は、家から持ってきたいくつかの小道具を使った。記憶と結びついた匂いのあるもの、記憶を呼び覚ます食べ物、などを使ったり。

 感じたままに声に出したり、言葉に出すよう促される。

 ここでは参加者みな、眠っていた怒りや悲しみ、かなり強い感情が出るので、部屋はさながら精神病棟のようになる。

 

 そして、エクササイズが終了したらそのまま、パートナーを見つけてのレペティションに移行。

 感情を呼び覚ますエクササイズを終えたばかりの、ありのままの自分の状態でやる。

 

 俳優は感情を扱うことが仕事なので、俳優自身にブロックがあると仕事にならない。

 例えば、長男であれば、「ちゃんとしなさい」「男の子は泣いちゃダメ」と言われて育って、悲しみや寂しさを表さないように条件づけられてきた可能性がある。

 大人になるにつれて身についたそのような社会性を、ここでは一旦取っ払い、怒りが出たらそのまま怒る、悲しくなったら泣きわめく、といったように、感じたままに声と言葉に出すように促される。子供の頃から押さえつけられていた感情は爆発的に出ることがある。

 そうやって自由になった感情を、仕事場ではきちんとコントロールして出せるように訓練するというのが目標。

 

 ワークショップ日程の最後の方で、「手作業をしながらペアでやるレペティション」のエクササイズがあった。

 一人(A)が、何か手間のかかる手作業をする。背景として、その作業を限られた時間でやらなければならない背景を考えておく。(例えば、作業は「台本を手書きでノートに書き写す」。理由は「台本にコーヒーをこぼしてしまったのに、稽古が半時間後に始まるから」)

 もう一人(B)は、一人になって何か強い感情を作っておく。(寂しいとか悲しいとか)

 お互い十分に準備ができたら、向き合ってレペティションを始める。

 急いで作業をしている人にとっては、強い感情を持ってやってくる相手は一種の障害になる。

 

 このエクササイズをスタニスラフスキー流に解釈すれば、Aにとっての作業は「目的」、強い感情を持ったBの存在は「障害」になる。

 だが、このマイズナーのエクササイズは、Aが目的を完遂させることが目標ではない。

 Bの感情をきちんと感じ取り、それに反応することが推奨される。

 

 つまり、このエクササイズは、スタニスラフスキーシステムなどのテクニックを使えるようになるための、前段階と言える。

 Bの強い感情に反応することができなければ、障害を障害と感じられないので、スタニスラフスキーシステムは成り立たない。

 「目的と障害」をきちんとやろうと思ったら、まず俳優は障害を障害と感じる必要がある。

 相手ときちんと向き合う、それに反応する。俳優としての一番基本的な感性を開発するエクササイズである。

 

 エクササイズの1日目。私はB側(感情を作ってくる側)だった。

 準備の際、私は、実生活で思い通りにならない人のことをひたすら思い浮かべた。5分くらい。イライラするような、やるせない気持ちが頂点に達したところで、ペアの相手と向き合ってレペティション開始。

 ペアの相手は忙しそうに折り紙を折っていた。

 途端に、「作業をやめてほしい」「自分の方を見てほしい」という感情が沸き起こってきた。

 完全にその設定の中に没入していたのであまり覚えていないが、折り紙をテーブルから払い落したりとか、泣きわめいたりしていたように思う。相手はこちらを気遣って構ってくれるのだが、それが余計に癪に障る状態。

 

 

 二日目は私が作業をやる側。

  友達の誕生パーティのために色紙を切り抜いて部屋のデコレーションを作っている、それも、もうすぐパーティが始まるのであと10分で仕上げなければならない、という設定を考えた。

  ペアの相手は、寂しそうな、かまってほしそうな状態でやってきた。

 最初は、寂しそうなその人を相手してあげようとした。

 しかし先生の「淳さん、本当はどうしたいの!」の声にハッとする。

 そうだ、私はこの人を相手している場合じゃない。作業がしたい。作業をしなければ。

 だんだん、遠慮なく相手に邪険にし始めた。

 イライラしてきて、相手に遠慮なく「ジャマ!」「イライラする!」という言葉をぶつけ、逃げ回り、逆に相手を追いかけ回していた。

 こんなに失礼な態度をとることは実生活ではないのだが、抑制が取れて自由になった感じ。

 

 

 

 エクササイズの最中、先生はこのような声をかけてくる。

 「何が見える? 言葉にして」

 「本当はどうしたいの?」

 「呼吸して」 

 「体の中にあるのは何? どうしたい?」

 「アー、でもいいから声に出して」

 「相手は何を感じてますか?」

 

 場面の状況に没入しながらも、俳優としての自分は覚醒していて、先生の指示を実行する。

 二つのリアリティが同時進行しているような、不思議な感覚でエクササイズをしていた。

 英語では“in the moment”というが、俳優がいわゆる「いい演技」をしている時はこんな感覚なのかもしれない、と思った。

 

 

  このワークショップに演出家が参加することは滅多にないらしく、私が俳優に混じって「ガチで」エクササイズをやっていたので、先生にかなり驚かれた。

  あとそもそも、このエクササイズで要求される「感情を開く」こと自体が普通はとても大変らしく、ワークショップの参加者は期間中、ものすごく疲れるようだ。

 私はなぜか「感情を開く」こと自体は全く大変ではなく、毎日泣きわめいたり叫んだりしても、終わったらけろっとして帰ってビールを飲んでいた、と言ったら驚愕された。

 海外にいたからなのかどうか? 日本は社会的抑制が強いので、普通に日本で育った日本人は閉じてしまう傾向があるのかもしれない。

 

 とてもパーソナルな深いところまで降りるワークをやるので、誰にでもおすすめするわけではないけれど、もっとリアルな演技を追求してみたい、俳優としての可能性を広げたいという人はぜひ一度参加してみたらどうかなと思います。