バロックオペラの様相

バロックオペラの様相

 近々バロックオペラに2本関わる予定があるのでその時代に関する資料を色々読んでいるところですが、中でもバロックオペラ全盛期の歌劇場の雰囲気がダイレクトに伝わってくるのがこの本 「当世流行劇場」 (未来社、ベネデット・マルチェッロ著、小田切慎平・小野里香織訳)。

 著者ベネデット・マルチェッロは18世紀前半にヴェネツィアで活躍した作曲家。貴族の生まれでヴェネツィア共和国政府の要職を歴任した政治家でもある彼が、オペラハウスの堕落ぶりを皮肉たっぷりに描写した本。オペラに関わるあらゆる職種の人々(作曲家、台本作家、女性歌手、カストラート、劇場支配人、パトロン、先生たち、ダンサー、舞台装置家、プロンプター、など)がそれぞれ身勝手にずる賢くオペラ界を渡り歩いていく姿を辛辣にあげつらっているのだが、それが結果的に当時の歌劇場の猥雑でエネルギッシュな様子を生き生きと伝える貴重な文献になっている。日本語訳のこの本には訳者による解説もふんだんにあって分かりやすい。

  

 17世紀後半~18世紀前半のオペラは、芸術的なレベルの高さよりもエンタテイメント性が重視された。奇抜で派手な舞台装置、カストラートの華麗な超絶技巧で観客をどよめかせるのが何より大事。劇場は芸術を楽しむ場所である以上に観客にとっては社交場であり、レストランやバーもあり、賭博もでき、また人目をしのんで愛人と逢えるラブホテル的な機能さえ果たす総合エンタテイメント施設だった。舞台そのものよりも社交や逢引にいそしむ客たちを相手にするため、台本はお決まりの要素を取りそろえただけの粗悪なもの、音楽は既存の曲をごちゃまぜにしたパスティッチョが多かった。そんな歌劇場のていたらくがマルチェッロにとっては耐え難いものだったと思われる。

 彼がこの本で暗に標的にしていたのは、当時の流行作曲家ヴィヴァルディと彼が活躍した劇場だった。貴族出身で、由緒正しき対位法やソルフェージュを身に付けていることを誇りにしていたマルチェッロには、音楽理論は二の次で大衆の好みにおもねって書きまくり、ヒット曲を飛ばしていたヴィヴァルディが許し難かったらしい。

 

 ここで描写される歌手たち、作曲家、台本作家、劇場支配人などなど、みなとにかく自分勝手で世渡り上手で、したたかである。

 

 女性歌手の章:音楽の教育はまともに受けずに13歳そこそこでデビューし、売り込み方だけは早々に身に付ける。出演する条件としては常にプリマドンナの配役を求める。少しでも自分に有利なように契約書を書かせようとする。新しい役を歌うにあたっては歌詞の意味を理解する努力はせず、「ただ単にどう手や腕を動かし、足を踏み鳴らせばよいか、どう頭を振り動かし、鼻をかめばよいか」など体裁だけをととのえる。ちゃんと歌えない時の言い訳は雄弁である。稽古にはいつも遅れてくる。台本作家の言うことはきかず、狂乱の場、絶望の場などを自分勝手に付け加えて読みあわせのやり直しを求める。パトロンにだけは惜しみなくおべっかを使う、などなど。

 

 劇場支配人の章:音楽のことも文学についても美術についても全く理解も教養もないが、経費節減のための弁舌や、女性歌手やパトロンのあしらいは巧み。台本作家にはとりあえず荒っぽい場面を入れるように、婚礼の場面、神託が下る場面、熊役が暴れ回る場面などをうまく配置するように勧める。配役はおそろしく適当で、息子役は常に母親役の歌手より20歳も年が上である。周囲の名士から配役に関して苦情が出ると、大至急だと台本作家や作曲家に命令して、物語や音楽をぶち壊す。もし有名な女性歌手が二人いて、どちらがプリマの配役を取るかで対立する時は、台本作家に命じて、アリアやレチタティーヴォの数がぴったり同じ登場人物を二人登場させる。その二人の役名も全く同じ長さの音節で構成されるように台本作家に忠告もする。などなど。

 

 これを読んでいるとモーツァルトの「劇場支配人」を思い出さずにはいられない。ヘルツ夫人とジルバークランク夫人という二人の女性歌手が主役の座を争い、板挟みになった劇場支配人が右往左往する話。この本に書かれているディテールを逐一盛り込んで「劇場支配人」をやったら最高に面白そう。

 

 さて、バロックオペラやその時代について図書館などで手に入る資料は少ないので、さらに専門的な資料については最近もっぱら JSTOR というサイトを利用している。

 http://www.jstor.org/

 過去に世界中(主に欧米)で発表されたあらゆる分野の学術論文がすべてネット上でデータベース化されたサイト。登録してメンバーになれば全ての論文が読み放題。(1か月限定会員で10数ドル。)検索も簡単なので、必要なテーマの資料がピンポイントで読める。各分野の真の専門家による最先端の文献を自宅で読めるなんて・・・自分の大学時代は図書館に通って学術雑誌の目録を繰り、そのコーナーに行って当該年月の号を探し、コピー機で必要なページをコピーして、なんてやっていた事を思い出すと隔世の感・・・信じられない便利さ、確実さです。英語以外にドイツ語、イタリア語、フランス語の資料もたくさんあるので、そのあたりの語学ができる方には本当におすすめです。