プロセニアムテクニックは重要だけど最重要ではない話

 先月から大学でオペラ試演会の稽古をしている。演目は「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」「セヴィリアの理髪師」「ドン・パスクワーレ」より抜粋。

 演出をしながら、プロセニアムステージ(お客さんが舞台から見て一方面だけに座っている形の一般的な劇場)における立ち方や歩き方、どうやって自然な形で観客に表情を見せるか(二人で会話をするシーンは少し斜めに立つとか、離れた所にいる相手に向かって歩いて行く時は一旦舞台奥へ行ってから相手に向かって斜め前に歩いて行くとか、相手の話を聞いている時は、時々考え事をしている感じで前を向けば自分の感情をお客さんに見せられるとか)といった、いわゆるプロセニアム・テクニックも教えているのだが、葛藤もある。

 オペラ公演のほとんどがプロセニアムステージで行われる以上、プロセニアムテクニックを身につけるのは大事に決まっている。基本的にオペラ歌手は演劇の俳優と違って指揮を見なければいけないから、いかに自然に前を向いた状態でいるかの技術を身に付ける事は俳優よりも重要なことは間違いない。(注:「自然に」がポイント。不自然に前を向いて突っ立っているだけでいいなら簡単なわけで…偉そうに書いてるけどオペラ歌手ってほんとに大変だなあと思うんですよね。)ただ演技においてはそれ以上に大事なものがあるのだけれども、限られた時間で公演に間に合わせるためにはどうしても技術のことを中心に言わざるを得ないのがもどかしい。

 いつも思い出すのは去年ギルドホール音楽院オペラコースの試演会の稽古を見て受けた衝撃。前にも書いたのだがギルドホールの試演会はプロセニアムステージではなく、プロファイルシアターという、お客さんが舞台をはさんで前と後ろの両側に座る形態のスタジオで上演する。なので歌手はどちらを向いていても構わない。そして指揮者はいないので指揮を見る必要がない代わりに、ピアニストや他の役の人たちと呼吸を合わせてアンサンブルをしなければならない。そういう形態にしている理由を訊いたところ、「どっちを向いて歌うか」といった形式上のことに歌手がとらわれることなく相手役とのコミュニケーションに集中できるようにするため、とのことだった。演出家兼演技コーチのマーティンは「プロセニアムテクニックはその気になればすぐ身に付けられる。それよりも訓練のこの段階では相手役に集中する感覚を学ぶ方が大事」と言っていた。「この段階」といっても、オペラを学び始めたばかりのひよっこなんかではない。日本でいうと博士課程一年目にあたる、実力的には日本ならすぐに売れっ子歌手になれそうなハイレベルの歌手たちだったが、その彼らが演技の基礎としてそういう訓練を受けている。ギルドホールの方式はイギリスの音楽学校の中でも特殊なようだったが、でも本当に素晴らしいと思った。

 いつかそういう試みを日本でもじっくりやれると面白いんだけど。

 ちょっと関連する話で、去年観たくて観られなかった公演の映像を見つけた。ロイヤルオペラハウスのモンテヴェルディ「オルフェオ」の最新プロダクション(2014年初演)。歌劇場ではなく、ラウンドハウスという、カムデン(ロンドンの上のほうにある下町)にある演劇用の円形劇場で、ラウンドハウスとの初の共同制作で行われた公演。歌劇場から飛び出したアウトリーチ型の新しい観客を獲得しようという試みである。

https://www.youtube.com/watch?v=Vz6Z4sbX32E

 

 円形劇場なので丸い舞台をお客さんが取り囲む形になっている。当然プロセニアムにおける「前」はないので歌手はいろんな方向を向く。小さめの劇場なこともあり臨場感たっぷりなのが映像でも伝わってくる。オペラを円形劇場でやるのはスタッフ側としても様々な工夫が必要なのは想像できるけれども、演出もスタイリッシュで、これは本当にかっこいいです!

 このプロダクションは「初」が多いらしく、ラウンドハウスでオペラが上演されるのは初めて。演出家のマイケル・ボイド(元ロイヤルシェイクスピアカンパニー芸術監督)はオペラ演出が初めて。そしてこれもROHとしては初の試みらしいがダンサーには地元の舞踊学校の現役の学生たちが出演し、歌手の主要キャストにもROHのYoung Artists Programme在籍中の歌手が器用されているほか、ギルドホール在学中の学生も出演している(実際に私がギルドホールの授業を見学していた時にクラスにいた歌手が出演している)。未来の舞台人たちが、お飾り的な立場ではなく、プロダクションの主体となっている。若手を積極的に取り込んで機会を与えるのがラウンドハウスの普段からの方針とのことで、共同制作でもそれを踏襲している。学生や若手歌手にとってはまたとないチャンスだっただろう。

 ROHはヨーロッパの中では保守的な演出が多いのだが、伝統的なプロダクションで従来のオペラ観客層を満足させる一方で、同時にこういう画期的な試みもやって新しい観客を開拓している所がさすがイギリスだなあと思う。公演は完売だったそうです。